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2018年4月26日 (木)

戸塚宏校長は自分が正しいことを知っており、自分にとって有利な論理から出ないのです フジテレビ「直撃!シンソウ坂上」「戸塚ヨットスクール」

フジテレビ「直撃!シンソウ坂上」で、かつての戸塚ヨットスクール事件を扱い、戸塚宏校長が出演して、昔のままの気炎を吐いていた。
 
司会の坂上忍や出演者たちが戸塚校長を非難しようとしても、まったく歯がたたない。
出演者からは「平和」とか「愛」とかの言葉が飛び出し、戸塚校長の餌食になっていた。
 
戸塚校長からは「マスゴミ」の言葉が飛び出し、「マスコミはゴミである」と明言されていたが、そういうことを言われるのは、世間やマスコミ、そして番組の討論、議論の能力のなさが理由であり、戸塚校長からバカ扱いされるのは当然である。
「体罰はいけない」という「正義の印籠」が通じないとみるや、「平和」「愛」という金ぴかの印籠を取り出し「これでどうだ!」と突きつければ相手は参ると思っている、その程度のことしかできない連中であると戸塚校長に見透かされていることがわかってないのだ。
 
昔から、戸塚校長への非難は「体罰はいけない」というものであり、それは世間で当然と思われていることである。
そして、「体罰はいけない」という正義に寄りかかり、それさえ言っておけば通ると思っている甘さを、戸塚校長に突かれているのである。
そして、戸塚校長は、その点を皆にわかるようにとことん説明することはせず、短く反論し、バカにする態度を示して議論を終わりにするのである。
 
では、どのように議論すればいいのか、「体罰はいけない」と思い込んでいる人に私が説明することにしよう。
 
まず、「”体罰”という短い一言で、何を言っているかは、人によってそれぞれ異なる」ということを理解してないということが一番の議論の欠陥である。
世間では「体罰は暴力である」と捉えて、結局「暴力はいけない」と言っているのだが、戸塚校長は「体罰は教育である」と明言している。そして、議論はそれ以上に進まない。
 
戸塚校長のいう「体罰は教育である」というのは、正しいとしなければならない。なぜならば、戸塚校長はそういう意味でいっているのであるから、それを外からあれこれ言うことはできないのである。
ところが、「体罰はいけない」と思い込んでいるので、相手に通じないのに「それは間違いである」としか反論できないのである。
 
戸塚校長は問題児に数多く接してきており、問題児はどのような人格、性格を持っているかを見る経験に富んでいるので自信がある。「相手を思いやって」というような、普通の子供を想定しているような相手は一発でバカにされ、議論の相手にしてもらえない。
 
戸塚校長の論理は簡単である。そして、世間がそれに反感を持つことを知っており、それを利用して議論を停滞させ深めない。それの堂々巡りで結局、世間が戸塚校長の論理、信念を理解することはない。そして、自分の得意な理論を思う存分振り回せる状況になり、戸塚校長の思うつぼである。
 
私は、「体罰はコミュニケーションである」と思っている。そして、言葉によるコミュニケーションが成り立たない場合は、それを使うしかないと理解している点は戸塚校長と同じであろう。なので、戸塚校長が言わんとしていることはよくわかる。
 
事故についての責任については、昔から、戸塚校長は完全に自分の責任であることを認めており、その責任を回避しようとする言葉を吐いたことはない。しかし、事故の責任追及の話になると、すぐに責任を認め、そして、すぐに議論を教育論に切り替え、その正しさの話になるのであるが、相手は話が切り替えられたことに気づかず、責任を回避されたように聞こえ、釈然としないのである。
 
戸塚校長は自分が完全に正しいと断言しているが、その通りである。それは、議論する内容は、自分が想定する範囲の話から一歩も出ないという姿勢なので、当然そうなるであろう。
 
-----------------------------------
(2018/6/2)
当時の当事者(元訓練生)の方からコメントを頂きました。生々しい実態が詳細に綴られていて、頭で想像していたより、具体的に、より深く理解することができました。
もちろん、片方からだけの見解だけでは、何が真実かを判断することはできません。
番組でも、このくらいの実態を調査、取材して、戸塚校長の見解と比べて、実際はどうだったかを問い詰めるべきだと思いますが、「体罰はいけない」「平和」「愛」というようなことを相手にぶつけるだけの議論の稚拙さにあきれて書いたのが上記の私のブログです。
 
「言っていること」と「やっていること」を分けることに目が向かず、「やっていることがダメな人は、言っていることもダメなはず」と単純な発想でものを考え、戸塚校長の「言っていることの間違い、考え方の間違い」を攻撃すればいいはずだという、大雑把な議論しかできないのです。
だから、戸塚校長に対して「それは間違いです」と否定することしか思い浮かばず、「あなたの言っていることは正しいが、やっていることはダメでは?」と切り込む発想が浮かばないのでしょう。
 
それは、「体罰はいけない」ということばかりにとらわれ、自分の正義感にあぐらをかき、百戦錬磨の強力な相手に対して議論をしようとしていることが見えていない、「正義は勝つ」という楽観的な見通しで議論に臨む甘さです。
「あなたの言っている意味での、体罰を指導の要にして教育しようとするのは方法論として正しい」とさっさと認めた方が、戸塚校長の得意な方面の言葉を封じることができ、「では、何が問題であり、よくないのか。方法論通りにいくもなのか?弊害も多いのでは?」ということにグッと近づくことができるという、議論の方法がわかってないのです。
(「体罰はいけない」を攻撃材料にしていては、戸塚校長にかなうわけはないということです)

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コメント

戸塚さんの言うこと理解できます。

若年層が年上に横柄な態度とる奴、いっぱいいますしね。見てて腹立ちます。
仕事でも若年の新入りのやつが、年上に教えてあげるっていう態度だもんね。あまり酷いといじめてやりたくなります。

やっぱり教育もあるのかなと。
私も戦後教育にどっぷりと浸かって生きてきましたが、戸塚さんの教育論を聞いてなるほどな、とおもいました。
大和魂教育を今に活かすのもアリなのかなと思います。

当時、いじめられて不登校になり、アルバイトをして生活していた自分を拉致・監禁し、
暴行を繰り返したのがこのスクールだった。
戸塚ヨットスクールで行われていた(自称)教育は、
事あるごとに自分達に服従する都合の良い人間に仕立て上げようと、

●自分に都合が悪い・自分が勝てない(主張)は(口答え)で、
思い通りにならないと逆恨みして暴力・脅迫・恫喝で押し切り、
お強い自分を見せて自惚れると同時に、自分に対する恐怖心を植えつけ、
(自分が正しいから従う)を装った(自分に脅えるから従う)にする

●気まぐれに陰湿なイジメやシゴキを行い、理由を聞くと、
頭を殴ったら「頭を強くする為」体を殴ったら「体を強くする為」
それでも説明がつかないもの(大勢の前で性器を露出させる、汚物を口に入れるなど)は
「根性をつけさせる」「厳しさを教えてやってる」

●自分に都合のいい考えや行動から外れる者が出ると
「皆やってんのに、なんでお前だけやんねーんだよ!」
逆に自分に都合の悪い考えや行動に合わせようとすると
「皆やってるから良いとでも思ってんのかコラ!」

●何か結果を出せば、それを喜ぶ者と、迷惑する者が出るのに、
自分に都合の悪い結果の場合、迷惑をかけた僅かの例を探して全体に当てはめ
「お前なに人様に迷惑かけてんの?自分だけ良けりゃいいのかコラ!」
自分に都合の良い結果の場合、迷惑している人間が大多数だろうと見て見ぬフリか
「必要な犠牲なんだよ!」と力説

●コソコソ根回しして
「むこうも俺と同じこと言ってんだろうよ!」「俺の言った通りになっただろうがよ!」
「だから俺が正しいって事なんだよ!」「てめえのせいで皆に迷惑かけてんだよ!」

●わざと失敗させ、その失敗を責め立てる(勢い)を利用して、
でたらめや関係のない事や過去の逆恨みをこじつけ「ハイ」と言わせたり、
「この失敗をどうにかして欲しいか、なら今後はこうすんだろうな?」と
説得するフリをした脅迫をしたり、卑屈にペコペコさせて個性潰し

●頑張って成功させても「調子コイてんじゃねえぞコラ!」と自信をもつ事を許さないくせに
「やる気を出させる手段だった」「俺は憎まれ役を引き受けた」
「こういう気持ちを理解して欲しくて、あえてやった」「そのおかげで成功した」
とコソコソ自分の手柄にする

●自分が立場の弱い者から責められると、見え透いた寄せ集めの後付け話を並べ
「だから俺は正しいって事だろうがよ!それを俺のせいとか言いやがってよ!」と
自分の責任は(認めたくない・向き合いたくない)相手の責任は責め立て
「今度舐めたこと言いやがったら殺すぞ!」と今後は自分が何をしても責められないようにする

●これら見え透いた卑劣で幼稚な真似を繰り返しておきながら、それがバレてない、
通用してると自惚れていて、いざバレてるとなると「お前の為にしてやってんだよ!」
「俺がこうしねえとこうなんだよ!こうなるなら、お前にこうすんのが正しいんだよ!」
などと自分の言う(為になる)の価値観や、自分のした卑劣で幼稚な真似の責任を押し付け、
恩の押し売りをした上で、正義面

●見え透いた卑劣で幼稚な真似に騙された(演技)をしたり(嘘)をついて機嫌を取る人間を見て、
その(演技や嘘)の上で自分にはカリスマや信頼や素晴らしい人生観があると自惚れ、
他のコーチや番外訓練生(戸塚の仲間になる事でリンチされる側からする側に逃げた訓練生)
に「アイツはこうすれば言いなりになるから」と根回し

…とても書ききれない。
結果、登校どころか鬱病と極度の人間不信になり、
(スクールを勧めた学校の教師達や、よく調べもせず戸塚の宣伝文句を鵜呑みにし、
拉致・監禁・暴行を許可した両親も信用できなくなった)自殺未遂を繰り返した。
今は、両親と親子の縁を切り、精神病院に出たり入ったりで、アルバイトも出来ない。
自分の人生を破壊した戸塚もコーチも番外訓練生も絶対に許さない。

元訓練生とはなるほどな(苦笑)
甘ったれだな
まさに。
いじめられて不登校だとか戸塚行ったせいでうつ病だとか片腹痛い。
お前は永遠にそのサイクルだ。間違いない!
バカゆえわからんだろうし、つまり死ぬしか終わりはないっつー事だ。ざまみろ

自分は体罰を含めた厳しい教育を受け、親の後を継いだ職人だから
元訓練生とやらの告発を見ても、ここまで酷いとは信じられず、
(どうせ日教組かマスコミ関係者の捏造だろう)
と思ったから調べてみた。
するとヨットスクールが運営しているサイトで訓練内容を紹介していて、
その内容に驚愕した。

屈強な身体つきのコーチが、少年の太ももを力いっぱい蹴りあげる。
ヒイーッと悲鳴をあげて泣き崩れる少年。
だが、コーチは手をゆるめない。
「こいつッ、泣けば許されると思ってるのかあッ!」
再び、太ももがいやというほど蹴りあげられる。
火のついたように泣き叫ぶ少年。
「オイッ、顔見せてみろ。涙なんか出ていないじゃないかッ。ごまかすんじゃないッ!」
今度は胸ぐらに鉄拳が打ち込まれる。

この激しい体操に耐えられる者は皆無である。
しかも、くたばるとその場でコーチの足蹴りか鉄拳が、いやというほど身体に打ち込まれる。
甘やかし放題に育ててきた親たちが見たら、おそらく卒倒してしまうのではあるまいか。
登校拒否、家庭内暴力、非行といった情緒障害児は例外なく甘ったれであり、
いやなことは人一倍逃げようとするのが特徴だ。
学校から逃げ、勉強から逃げ、友だちから逃げ、甘い親につけ込む。
その甘ったれたちを逃げ場のない所へ追いつめて、体力と精神力を鍛え、
ヨットでさらに本格的な鍛錬を積むための基礎作りをする。
倒れては蹴られ、鉄拳を受けては立ち上がる。
子供たちは泣きわめきながら否応なしに厳しいしごきに悲鳴をあげ、耐えさせられていくのである。

転倒するのは学校が悪いのでもなければ、友だちが悪いのでも、親が悪いのでもない。
自分が悪いからだ。
自分の操作が未熟だからである。
だから死にたくなければ、だれに文句をいうのでもなく自分で自分を鍛える以外にない。

子供を1人乗せたヨットは波にもまれ、やがて転倒した。
こごえ死ぬほど冷たい冬の海である。
少年は思わずはい上がろうとした。
救命用の高速ヨットに乗ってその模様をじっと見ていた戸塚とコーチたちは少年のヨットに近づいて行った。
そして、はい上がろうとしている子供を海中に突き落とした。
浮かびあがってくると、再び頭を押えて海中に突っ込む。

これでこの子の甘えと突っぱりは完全にうちくだかれてしまった。
彼は2度と「死ぬ」という言葉を口にしなくなり、戸塚らに対して従順になった。

「イヤだアーッ!」
父親の同情を誘うように大声で叫んだ。
その瞬間、コーチのこぶしが子供のみぞおちに打ち込まれた。
グゥワッとうなりながらも必死に抵抗する子供に、なおも強烈なパンチが続けざまに数発。
戸塚やコーチによると、ここが重要な勝負どころだという。
この相手にはかなわない、いうことをきくしか仕方ないと、最初の出会いの時に思わせなくてはならない。
しかもそれは、理屈抜きに、体で覚えさせなくてはならない。
甘ったれ、世をすね、親のいうことも、先生やまわりのいうことも聞かなくなったような子供には、
理屈や説得は通用しないし、無用だというのである。

子供に対して、あなたはどうやって責任をとるんですか。
いま、好かれなくとも、将来感謝される道を、なぜ選ぱないんです。
いまのあなたの甘さ、優しさを、子供は将来、きっとうらむんです。

さらにしごきを通じて、生徒がコーチに従うという関係が確立される。
精神力のある正常な者であれば、自らの意思によって困難に挑戦し、克服しようと努力するが、
その力のない彼らはコーチによっていやがるのを無理にやらされることになる。
怠けても、逃げても骨身にこたえるパンチが待っている。
コーチには体力、知力、技術、経験等、あらゆる面でかなわないことを子供たちは肌で覚えさせられるのである。
「一人前でない子供の自主性を尊重するとか、対等に話し合うなど悪しき平等主義」

生徒同士でも教える方は絶対。
教わる方は年上でも威儀を正し、礼を尽くさねばならない。
悔しかったら努力して早くうまくなれ、というわけだ。
生徒が合宿所の2階の広間から階下へ上り下りする時には、コーチ室の前へ直立不動の姿勢で立ち、
「下へ降ります」 「上がりました」
と大声でいって礼をしなくてはならない。声が小さかったり、姿勢が悪かったりすると、
「やり直し!」と、何度でもやらされる。

「お前は、自分のやった事の重大さをわかっているのかッ!」
合宿所へ連れ戻された若者に可児コーチがいった。
可児ともう1人の加藤忠志コーチはこもごもキツネの家庭の事情、戸塚の好意によって面倒をみてもらい、
立ち直る寸前であったことを教えたうえで、可児が再びいった。
「お前は立ち直りかけていたキツネの人生をだいなしにしてしまったんだ。
その責任をどうやってとるつもりなのかッ!」

2人を調べていたコーチの加藤忠志はその若者に向かっていった。
「みんなに何といったのか、正確にもう1度いうてみィ!」
若者はその気迫に気圧(けお)されていいよどんでいたが、加藤に再度きつく促され、
「耐えがたい暴行を受けた、といいました」と告白した。
まわりにいたコーチたちがいっせいに立ち上がり、
「耐えがたい暴行とは、こういうことかッ!」
といいざま、強烈なパンチを相次いで若者に打ち込んだ。

「友達にいじめられる」
と言って学校を休んだのをきっかけに、登校拒否を起こしていた。
市の教育相談所や大学の神経科へ通ったが、登校拒否は治らなかった。
そのころ、妻の姉がたまたまテレビで戸塚ヨットスクールの番組を見た。
効果があるらしい、と姉から妻に連絡があり、2人でパンフレットを取り寄せて検討したうえで、長男を入校させた。
夫はあまり賛成ではなかったのだが、妻たちの意見に従った。
ところが、約1週間の訓練を終えて帰宅した長男は顔がはれあがり、体中アザだらけ。
あちこちに傷を負って、骨の痛みを訴え、恐怖に震えていた。
しかも、登校拒否は治っていない。

>>>
ヨットスクールのサイトである以上、美化したり、正当化できる部分を切り取る(偏り)が無いはずが無いのに、
元訓練生の言い分を裏付ける内容。
当然実態はこれよりもさらに醜い物だった事だろう。
しかも死亡事故の際の遺族への対応も紹介されていて

「どうして、利次は死んだのですか」
桐山の一族はコーチに尋ねた。
コーチは、目下、警察で取り調べが行われており、自分では事情がよくわからない、と答えた。
父親たちはコーチの口ぶりから水死でないらしいことは想像できたが、
詳しい説明がヨットスクール側の関係者から行われないまま、悲しみと、いらだちのなかで時間を過ごしていた。
校長の戸塚宏の姿がない。
所在を尋ねると、目下、九州を旅行中であり、急ぎ、こちらに向かつているところだとの説明だった。

父親たち3人は利次の遺体と対面した。
利次の遺体の顔は、目と口のまわりが殴られた跡のように黒くはれ上がり、
目の下に傷跡、口のまわりには血がついているように、遺族には思われた。
父親たち3人は、ヨットスクールの用意した半田市内の宿で一夜を明かした。
九州に出張していたという校長の戸塚が、女性コーチを伴って現れたのは翌日の夕方7時ごろであった。
九州に行っていたうえ、新聞記者に追いかけられたこともあり、時間がかかって遅くなった。
「利次の死は、訓練中の事故死ではなく、病死である。責任問題についてはよくわからないが、
出来るだけのことはさせてもらう」――といった意味のことを戸塚は遺族に話した。
父親たちが戸塚に怒りをおぼえたのは、彼がそれを立ったままで話したことである。
たとえ天災地変で死亡したとしても、預かっている間の出来事に対しては責任者として、
両手をついて、心から申しわけなかった、と詫びてもらいたかった――と遺族は語る。
遅れてきたうえに、冷静な態度だったということが、悲しみに沈んでいる遺族の神経をさかなでした。

戸塚をよく理解し、彼の仕事の困難さと意義を認識、評価している数少ない人々は、
泣きごとも、弁解がましいことも言わず、毅然として男らしい態度であると感嘆し、
そういう態度でいられるのは、彼が最大限の努力を尽くしてもなお起こってしまった
不可抗力の事故に違いないと、戸塚に同情した。
しかし、圧倒的多数の第三者は戸塚の態度を、傲慢不遜(ごうまんふそん)であると非難し、
暴力教室、人殺しと口をきわめてののしる者も少なくなかった。
「態度が無礼だ」と怒った、死亡者の遺族たちはその典型である。

>>>
もし自分の子供がこんな事をされたら、たとえ死刑になってもいいから戸塚を殺してる。
こんな偽善・独善の塊のような最低の男が存在しているのかと思うと、涙が出てくる。

戸塚ヨットスクールは今は体罰はやってないんですよ。代わりに訓練生らに陰湿ないじめをやらせているのですね。
ですから体罰による暴行死は無くなりましたが今度は自殺者が出始めました。

大事なのは実態です。

戸塚宏は警察が逮捕してもう一度刑務所に放り込まないといけません。

戸塚宏をナイフでメッタ◯しにして頃ス

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