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2017年12月 7日 (木)

違憲にきまっているが、受信料は強制徴収するしかないではないか! 「NHK受信料 合憲」「NHK訴訟」

最高裁判決で、「テレビを設置したらNHKに受信料を支払わなければならない制度は合憲か」の判断が下り、合憲とされたとのこと。
 
憲法では「契約の自由」が認められている。
「公共の福祉に反しない限り」という条件が付けられていると解説している新聞記事もあるが、それは「殺人契約などは認められない」という意味であり、今回の「公共放送」という意味合いとは無関係である。
 
そもそもの間違いは、「受信料」は「強制徴収」であるのにもかかわらず、「契約」などというものを規定した「放送法」にある。
 
税金だって別に「納税契約」が規定されているわけではなく、「納税義務」がある強制力のある法律が根拠になっているのであり、それと同じことだ。
 
自由であるはずの「契約」が「義務、強制」となっていることが矛盾であり、不毛な論争を生み出しているのである。
 
であるから、「合憲か違憲か?」となれば、「契約の強制」は「違憲であり」、そして、公共放送を成り立たせるためには「受信料の強制徴収」は必要なのである。
 
しかし、「違憲である」などという判決を出したら、それを理由に受信料を支払わなかったり、返還訴訟を起こす連中が続出し、NHKの経営が成り立たなくなるので「合憲である」という判決しか出せないのであり、これは、もう裁判所の裁量の範囲を超えてしまっているのに裁判所にまかせてしまったということである。
 
これを、裁判所はどのような理屈でどう裁くのか、見ものだと思っていたのだが、論旨が不明瞭、不可解になるのは当たり前である。
(例えば、「憲法上一義的に定まるものではなく……目的を実現するのにふさわしい制度を、国会において検討して定めることとなり、そこには、その意味での立法裁量が認められてしかるべきである」「なおその合理性が今日までに失われたとする事情も見いだせないのであるから、これが憲法上許容される立法裁量の範囲内にあることは、明らか」「必要かつ合理的な範囲内のものとして、憲法上許容される」)
 
まあ、裁判所は気の毒であるが、それよりも、こんな明解な問題を、ジャーナリズムは、なぜ明晰に解説して報じないのだろうか?

2017年12月 1日 (金)

大衆世論の恐ろしさ 「元小結・旭鷲山、モンゴル大統領の補佐官職を解任される」 貴乃花親方のファッション

「元小結・旭鷲山、モンゴル大統領の補佐官職を解任される」とのニュースがあり、「同氏が日本の複数のテレビ情報番組に出演して、発言していたことに関係があるとみられる」とのこと。
 
そういえば、モンゴル国内では、自国出身の英雄、日馬富士に対する応援の意識が高まっており、その反動で、被害者の貴ノ岩に対して、嘘つき、策略であるとの見方があるような報道がなされていた。
 
来日した旭鷲山は、事実を公正に見ようとしているようで、モンゴル国内では、貴ノ岩が不当に見られていると思い、なんとかしようとしているようであった。
 
私から見れば、日馬富士らを怒らすような行為が貴ノ岩にあったのであり、おそらく、それについては貴ノ岩に非があるだろう。
しかし、日馬富士らモンゴル勢力士は、横綱白鵬を頂点として徒党を組み、集団で(実際に手を出したのは日馬富士だけだとしても)貴ノ岩に制裁を加えたのではないのか?
 
その点を見れば、日本での日馬富士に対する非難は、まあ正当ではあるが、モンゴル国内では不当に見え、不当なこと(貴ノ岩に見方する気持ち)に加担している旭鷲山は許しがたいと思われたのだろう。
 
要するに、モンゴル国内の大衆世論が、真実を伝えようとした旭鷲山を、多数意見に反対する敵であり、国家と対立する悪人と見なして潰したというふうに見える。
 
これを見ると、大衆世論が成り立つ状況というのは、日本もモンゴルも同じだなあと感じる。
 
(本日夕方の、テレビ朝日「スーパーJチャンネル」では、旭鷲山が「自分のモンゴルでの選挙出馬のため」と発言しているので、事実は不明)
 
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白鵬は、丸く収めればよしと「バンザイ」を放ち、その雰囲気に世間を引っ張り込もうと思ったが、そうはいかなかった。
次に、内輪でおさめることを拒否した貴乃花親方を孤立させようと「一緒に巡業するのはいやだ」と力士たちを煽ろうとしているのだろうか?
 
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ついでではあるが、貴乃花親方が、ストールが似合うと、自分で気に入っていることはわかるが、ファッションというものは、たとえ似合っていても、同じものが続くと、鼻につくのである。
 
トレードマークのようになってしまっては、もはやファッションではない(アントニオ猪木のような赤でないだけましだが)。
おしゃれは変化が大切なのである。
 
貴乃花になれなれしい口調で話しかけ、カメラに向かって「インタビューを求めているのですが、協力してもらえません!」という真実味のないポーズをする(嫌がっていることぐらいわかるだろうに。どうしてもインタビューしたい、と相手に訴える心がまったく感じられない口先だけの態度だ)記者に嫌悪感を示し(礼儀として表情に出さないようにしているが)、自分の意志を通そうとする貴乃花は好きだが、ファッションは「どうもなー」という気がする。
 
だれか、親方に教えてあげないのか?

2017年11月28日 (火)

「文章の構造を理解できていない、文法分からず」だろうか?分析が間違っているのでは? 「中高生の読解力ピンチ」「国立情報学研究所」

今日の産経新聞「中高生 読解力ピンチ」という記事に「文章の基本的な構造を理解できていない中高生が多くいる」ことが、国立情報学研究所の新井紀子教授らの調査で分かったとのこと。
 
例えば「幕府は、1639年、ポルトガル人を追放し、大名には沿岸の警備を命じた」という文章と「1639年、ポルトガル人は追放され、幕府は大名から沿岸の警備を命じられた」という文章の内容は同じか?という問題に、中学生の約43%、高校生の28%が正しく答えられなかったとのこと。
 
「大名に命じた」と「大名から命じられた」の区別がつかないのか?と思うのであり、小学校低学年でもわかるのでは?と感じるほどである。
 
もう一つ「仏教は東南アジア、東アジアに、キリスト教はヨーロッパ、南北アメリカ、オセアニアに、イスラム教は北アフリカ、西アジア、中央アジア、東南アジアにおもに広がっている」を読み、オセアニアに広がっている宗教を「キリスト教」と答えられなかった中学生は約38%、高校生は約28%だったとのこと。
 
「キリスト教はオセアニアに」が読めないのは異常であり、まさかと思う状況である。
 
そして、記事の見出しには「文法分からず、中学生43%誤答」とあったが、この分析は正しいだろうか?
 
文節の結びつきを把握することが苦手であり、文章が長くなり、文節が離れたり増えたりすると混乱するようだが、日常の会話は普通にしているのだから、この程度の日本語の使い方が分かってないということはないだろうし、文法が分かってないとも思えない。
結局、「文字を読む」ということに、よっぽど慣れてないのであり、文章が頭に入らないのであろう、と分析するのが正しいのでは?
 
日頃、書籍等を読む習慣がないために、「文章を読む」ということに慣れておらず、頭の中は、文字を辿って文章として記憶するので精一杯になってしまうのではないだろうか?
そして、文章が長いと、最後まで読むのが苦痛になってしまい、「文章の構造」は小学生でこなせる程度であっても、「文章が長い」ということが内容理解の妨げになっていると推測できる。
 
「長い文章が読めない」ということが、普通に文章を読む人には理解できないので、ついつい「文法が分かっていない」とか「読解力が不足している」と思ってしまうが、そういうことではないのだ。
「文章を読む」ということに慣れてないので、「読む」ということだけで精一杯になってしまい、内容を把握するまでいかず、主語とか述語などに目を向ける余裕などなく、「ポルトガル人、追放、幕府、大名、警備」という単語の並びが目に入るだけであり、「文法」とか「構造」などに行き着かない。
漫画の吹き出ししか読んでないために、10文字以上の文章は読めないのだ。
 
「読解力が不十分」なのではなく「読む習慣が不十分」なのであり、「文章の基本的な構造を理解できていない」のではなく「文章を目で辿る経験ができていない」のだ。
 
読み慣れていない文章を読むストレスが、内容に目を向けるエネルギーを奪ってしまうので、文章に集中することや、読み返すことをいやがり、考える事が苦痛であり、苦労して文章を読み解くことを避ける(読む気が起きない、疲れる、めんどくさい)ので、不明瞭なまま解答してしまい、不正解となるのである。
正解を答えられない原因を大きく占めるのは、「読解力」ではなく「読み慣れ」なのである。
それと、成績に関係ない調査のためのテストは、それほど真剣に取り組まない、ということもあるかもしれない。
 
そもそも、この調査研究チームは、「文字を辿る力の不足」「文法知識の不足」「内容の読解力の不足」とかの仮説を細かく立て、それぞれの仮説を区別して検証できるような種種の調査(「文章を目で読ませた場合、耳から聞かせた場合」等)をしたのであろうか?
 
文章を読むことが不得手な人に、文章を読む力をテストするための「テスト問題を読ませる」ということが成り立つのか?という矛盾を解決しているのか?
例えば、「文章の内容は同じか?」という質問の意味が理解できていないのでは?
そうなると、「文章の内容は異なる」と正解を出した人も、はたして質問の意図を理解して解答したのかを疑わなくてはならない。(言っていることが解りますか?読解力はありますか?)
 
「全てがピンチ」などという結果が出ないことを祈りたいが、「文章の構造を理解する」ということについてのみ不得意なのか、それとも「あらゆる事が理解できていないのか」は、もっと厳密なテストをしないと分からないのでは?(例えば、他の科目のテスト結果と比べるとか)
そうすれば、「読解力の不足」なのか、「根本的な思考力の不足」か、「注意力や、やる気の不足」なのかが分かるのでは?
 
記事を読む限りだと、この研究チームは、調査して結果を分析して事実を導き出すという力が不十分な気がするのだが……。
 
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(2017/11/30)
ネットニュースで、「中高生の読解力ピンチ!」の記事に反論が相次いでいる、と報じられている。(http://netgeek.biz/archives/107551)
 
「学研が調査を行い新聞に掲載された読解力テストについて、実態は全く違うとテストを受けさせられた側の生徒たちがこぞって反論している」とのこと。
 
(私の感想)⇒やっぱり!そうだろうなあ!
 
(中高生の反論)「成績に関係ないのではじめから適当に答える生徒もいる」
(私の書いた内容)⇒「成績に関係ない調査のためのテストは、それほど真剣に取り組まない、ということもあるかもしれない」
 
(中高生の反論)「読解力がないというより、真面目さと集中力を図るテストになっていた」
(私の書いた内容)⇒「もっと厳密なテストをしないと、読解力の不足なのか、注意力や、やる気の不足なのかが分からないのでは?」
 
私の書いた通りではないか!
 
(私の書いた内容)⇒「読解力の問題ではなく、文章を読む習慣がないのであり、漫画の吹き出ししか読んでないために、10文字以上の文章は読めないのだ」
については、「そんなことはない!」と抗議する中高生には一応あやまっておこう。
 
私は「読解力」の問題ではないと気づき、原因を「文章の読み慣れ不足」と考えたのだが、テストを受けた中高生によると、「免許試験に出てくる問題」のような「読解力というより注意力」を試す出題だったことが原因のようだ。
 
(私の書いた内容)⇒「この研究チームは、調査して結果を分析して事実を導き出すという力が不十分な気がする」
が、まさしく正解であったことを示すようなネットニュースであった。

2017年11月23日 (木)

「職場」とか「子育て」とか、そういうことではないのだが? 「赤ちゃん連れの出席」「熊本市議会 緒方夕佳議員」

「熊本市の市議会で、昨日、生後7カ月の長男を連れた議員が同伴出席を認められず、開会が40分間遅れる事件が起こった」とのことで、賛否両論が沸き起こっているらしい。
 
「女性が働きやすい環境、子育てしやすい環境を作る、これが求められている」「子育ては社会全体ですること」「職場に赤ちゃん連れてくるって事は周りに配慮しなきゃいけない」「一般企業の会議に突然赤ちゃんが来たら誰でもびっくりします」「海外では、そのような例はある」とかの賛否両方の意見があるようだ。
 
私の結論から言えば、市議会への子連れ出席はNGである。
 
その理由は、考えるべき点は職場とか子育て云々ではないからである。なぜ子連れがだめかというと、「市議会」であり、そのような場所は「一般的な職場」として見るべきではないからなのだ。
報道やネット上で、そのような観点で意見を述べているものは、賛成側も反対側も一件もなかったが、選挙で選ばれた議員が出席する議会というのは「特別」なのだ。
 
説明するよりも、例を挙げた方がよくわかるだろう。
例えば、死刑になるかもしれない犯罪人を裁く法廷で、女性の裁判長が子連れで職務を執行したらどうだろうか?被告人は怒らないか?
法廷は特別の場所であり、そのことは裁判官の服装を見ればわかるだろう。それと同じことなのだ。

2017年11月16日 (木)

雑用の「修行」は必要なのか? 「19才の才能ある料理人」

昨日、テレビ朝日「スーパーJチャンネル」で「新時代の若き才能を発掘する料理人コンペティション『RED U-35 2017』」で活躍した、19才の料理人、崎楓真さんを紹介していた。
応募総数448人中わずか25人が2次審査を通過したその中に入り、さらにファイナリスト5名に残ったとのことである。
 
京都の名門料亭で働いている様子を紹介しているのだが、店のしきたりで、まだ2年目であることから、調理以外の仕事をしているということで、玄関前の掃除をしているところを映していた。(料理は毎日、本で勉強しているとのこと)
 
そのしきたりは、意味のあることであり、若いうちにそのような下積みの仕事を経験することが、人間形成に大きく影響し、技術を学ぶ前に必要なことであり、将来、その経験が財産になる、ということはわかる。
世の中のことや、他人との接し方や、自分自身のことについても目を開き、辛いことも耐え、規律や礼儀を学ぶ、というようなことであろう。大体、日本で昔から行われている「修行」とは、そんなものである。
 
しかし、若い才能ある人の、貴重な時期の、貴重な時間は料理の経験に充てた方がいいのでは?……、と素人は思うのである。(本で勉強して技量を上げる才能があるならば、実地の経験を積めばさぞかし……という気がするのである)
18、19才は、人間の頭脳が最も柔軟で活発な時期である。何でもどんどん吸収していくことができるこの時期に、玄関前の掃除をしなくても……と思うのである。
この、崎楓真さんについては、審査員も、その立派な態度、受け答えに感心していた。
 
誰かの小説(獅子文六「大番」か「梶山季之」か「清水一行」かそこらへんの作家で、捜したが見つからなかった)で、主人公が若いときに和菓子屋で修行を始めたころ、雑用ばかりやらされ、ちっとも菓子の作り方を教えてもらえなかったので、自分で研究してあんこを作った。何年も修行しなければ美味しいあんこを作れるはずがないと思っている店の人に試食してもらったところ、美味しいと言われ、喜んで、実は自分が作ったのだと告げたところ、感心されるどころか、怒りをかった、という話があった。
 
要するに、雑用の「修行」をする意味などないのであり、能力のある人には、さっさと作り方を教えればいい、という話である。
 
私の感想を言えば、そのような「修行」をする必要のある人もいれば、そのような「修行」で身につけるべきものはとうに身についているので、さっさと本来の技術を学んで一向に差し支えない人もいる、というのが実際のところであろうという気がする。
 
これは、人に技術を教える機会があったことにより、大勢の様々な受講生に接してきた自分の経験から感じたことである。

2017年11月14日 (火)

出来レースはつまらない! 「自民党議員による国会質問」

近ごろ「与野党、質問時間配分めぐる対立続く」のニュースで、「国会の質問時間は議席数で配分を決めるべき」「野党の質問時間が大幅に削られる」の議論が伝えられている。
 
今までは、NHKテレビの国会中継で、野党議員の質問はおもしろい(攻めているから)ので見ていたが、自民党議員は、「すばらしい、優れた政策に思えるのですが、どのような計画で進めていくのか、もうすこし具体的に詳しく説明して頂けますでしょうか」などの、質問の形をしているだけのヨイショ発言であり、つまらないので、その間はテレビを消していた。
 
議員が活躍していることをアピールするために、意味のないつまらない質問時間を増やしてどうするのだ!皆が見たいと思っている場面を増やすのがあたりまえだろう。
 
「国会の質問時間は議席数で配分を決めるべき」はいいのだが、配分を逆にして、与党対野党が6対4ならば、質問時間は4対6するという発想があたりまえであり、そのように計算するのが普通ではないか?
 
「質問時間については、与党対野党は1対9を基本とする」としておいて、例えば、計算した結果が「4対6」ならば、それを基本に近づけるように調整し、2対8あたりにするというのがいいのではないだろうか。

2017年10月24日 (火)

「排除」発言への反発が理由ではないだろう。「排除」は当然だ! 「岩城滉一」

今回の総選挙前には、「小池百合子都知事が代表の希望の党との“合流”を決めた民進党に戦慄が走っている。公認については、安全保障政策や憲法観などの基本政策で一致できるかが選別基準」との報道があった。
 
さらに、民進党の蓮舫前代表は、民進党出身議員らの合流に際して理念や政策の一致を求めた「排除の論理」に対し「排除するという言葉に耳を疑った」との報道があった。
 
そして、選挙の結果、「希望の党は惨敗 小池代表『排除』発言で謝罪」とのことである。
 
しかし、なぜ謝罪するのだ?
 
希望の党が民進党出身のリベラル派を排除するのは、理念の異なる面々と一緒にやれないということであり、当然のことであり、「排除」という言葉に人々が反発したというのは本当だろうか?
 
若狭氏は「『排除』という言葉は過激だった」とのことだが、理念を保ち、筋を通すのは結構なことではないか。そのくらいの言葉が出ないようではだめだろう。「相容れない敵と考えている」ということが分かりやすい、よい表現だ。「寛容、協調」などを大切にする場面ではないぞ!
 
表現はよくても、政策の内容と実施に情熱を持つのではなく、誰を排除するとか、どこと合流するとか、だれが仲間だとか、そんな事ばかりに目が向いていることに、人々はうんざりしたのではないか?
 
支持率、当選は大切である。落選して政権を失えば、政策が実施できなくなるからである。だから(政策を実施するために)人気を気にするのであるが、小池氏の場合はストレートに支持されることを目指していて、「何のために、その意図、計画」がすっぽ抜けて見えるのだ。政策の話に真実味が感じられないからだ(「豊洲と築地、両方を活かす」――やっぱり!出たかっ!耳当たりのよい言葉!と思いました)。
 
政策の実施を重要に考えるよりも、自分の立場や、どう見られ、どうすれば多くの人に気に入られ(受けがいい)、自分の人気が上がるか、影響力を保てるか、そんなことばかりを大切にして発言している正体が、人々に見えてきたのではないか?
 
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東京オリンピックは間に合うのだろうか?史上初めての「オリンピックに間に合わなかった国」にならないだろうか?小池都知事は、憂慮をもって真剣に臨んでいるのだろうか?(既に足を引っ張っているのではないか?)人任せにしていないだろうか?
そんな不信感を持っているのは私だけだろうか?
これから先、オリンピック開催をつまずかせるような事態が発生しないだろうか?(日本は、廃炉処理を抱えていることを忘れていないだろうか?)世の中、何が起こるかはわからないのだから……。
 
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(2017/10/25)
日本テレビ「ミヤネ屋」で「希望の党」両院懇談会の様子が中継されている。
 
小池代表の挨拶で「国政は国会議員の皆様に委ねる。自分は都政に専念する」とのことだが、「都政に専念」と、都知事としての自覚と責任があることを示し、「皆様に委ねる」と謙虚さを示し、代表の立場は、自分が創ったもので責任があるから辞任できないと、所有権と正当性を示し、辞任するなという人(自分の側近では?)もいる、ということで、影響力を保持さすれば、当面はそれでよしということだろう。(もっともらしいことを言う名人に見えるが……)
 
その後、番組では、岩城滉一が出演して、話をしている。芯があるなあ!男はこうでなきゃ、という魅力がある。
 
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(2017/11/24)
小池都知事に対する不信感を「小池都知事は、憂慮をもって真剣に臨んでいるのだろうか?」「もっともらしいことを言う名人に見えるが」と、このブログ上で述べたが、今日の産経新聞に、書籍広告で、2017年11月15日発行 有本香『「小池劇場」の真実』の内容が載っている。下記の通りである。
 
誤認だらけの豊洲移転問題、東京五輪の根拠のない見直し、人気とりだけのパフォーマンス。都政を掻きまわしたかと思えば突然、新党を立ち上げて、都政を放りだす。かと思えば、都合が悪くなると今度は都政に専念すると態度を一変。この一年以上にわたる「小池劇場」とはなんだったのか。
 
上記は、私の懸念がそのまま書かれているような様子であり、書籍を読まなくてもよく分かるなあ、という気がする。

2017年10月18日 (水)

「だんまり」「知らんぷり」「黙殺」で解決するのか? 500ページまでの制限がある電子機器端末 「製品仕様」

昨年発表された、特定用途向けの、PDFファイルを表示する電子機器端末がいよいよ発売された。報道でも取り上げられている。
 
表示端末としてはかなりの高額なのだが、魅力ある製品であり、入手したいと思い、製品仕様の不明点を、メーカーのホームページから問い合わせて確認した。
これは、3度行い、3度ともすぐにメールで回答があった。
 
そして、さらに販売店まで出向き、展示品を見て、特定用途に限らず、PDFファイルならば普通に扱えることを店員に確認した。
 
そして購入し、いよいよ、発売日当日に製品が届き、さっそく使用してみた。
 
ところが、準備していたPDFファイルを読み込ませると、「150MBを超えています」「ページ数は500ページまでです」のメッセージが、出始めるのだ!
 
あわてて、製品ホームページからメーカーへ問い合わせた。
ところが、翌日になっても回答がないので、再度問い合わせた。
そして、その翌日になっても回答がないので、再再度問い合わせた。
そして、それ以降一週間を過ぎても、回答はうんともすんともない!
(「リクエストは正しく送信されました」の表示がされるので、問い合わせは送信されている)
 
要するに、この製品は、ファイル容量を150MBまでとし、ページ数は500ページまでとしているようだ。おかげで、せっかく購入した端末で読めないPDFファイルが数十件発生してしまった。
大きなファイルを扱えば、内部メモリを使用してしまい、それに伴い処理速度その他に悪い影響が出て、動作が不安定になることはコンピュータ機器では見られることであり、なぜメモリ容量が動作に影響するのか、その原因を突き止め、不具合を取り除くというのが機器開発で行われることであろう。
 
ここから先は、私の推測になるのだが、おそらくこのメーカーは、不具合を取り除くという手間をかけずに、「大きなファイルは扱わない」という制限事項を設けることで解決してしまい、そして、そのこと(制限事項を設けた)を、発表する製品仕様には載せずに、ユーザーが購入して使用してから「制限を超えているので使用不可です!」と警告してもかまわないと思ったのではないか?
もしくは、この製品の特定用途においては、この制限を設けても支障はないとし、そのことは製品仕様として公表する必要はない、としたのだろうか?
 
私の問い合わせは、そのことと、「大きなファイルは扱わない」として解決したのだとしても、ファイル容量の制限さえすれば、「ページ数の制限」は不要なのではないか?ということである。
 
回答がなければ、私の問い合わせ内容を検討しているのか、ほっぽり出しているのか不明である。うんもすんも回答がないということは、この企業は都合が悪いことは、製品仕様には載せず、問い合わせには答えないという、「だんまり」「知らんぷり」「黙殺」という手で解決するのが方針なのか?
 
まあ、あんまり責めても気の毒なので、これ以上はやめておくが、特定用途が何の端末かということと、企業名と具体的な商品名も、ここで公表すると販売に影響するかもしれないことを考慮し、それと私自身がクレーマーになりたくないので、伏せることにする。
伏せたことにより、私と同様のトラブルに巻き込まれる購入者が出てしまわないことを祈る。

2017年10月 5日 (木)

なにが「合格」だ! 柏崎刈羽原発再稼働に向け「合格」

ニュースでは、「新潟県の柏崎刈羽原発6号機、7号機の再稼働に向けた審査で、原子力規制委員会は、事実上、合格とする判断を示した」とのことだが、なぜ「”安全”との判断を示す」ではなく「”合格”とする判断を示す」なのだ?

「合格か――、よかったよかった」との気分を盛り上げ、「合格したんだ、これで安心だ!」という雰囲気を出すために「合格」と言っているのか?
「合格したんだぞ、文句はつけられないだろう!」と誘導したいのか?

「原子力規制委員会」に対して、そのような判定をする権限を誰が与えたのだ?誰が「原子力規制委員会」を「合格」にしたのだ?

2017年10月 4日 (水)

「青天の霹靂」はうれしい驚き? 「できかねます」は敬語か? 「日本漢字能力検定協会」「漢字の豆知識――中学生レベル」 「国語辞典の役割」

近くのスーパーに米を買いに行き、「コシヒカリ」にも飽きたので、見覚えのある名前「青天の霹靂」を見つけて購入した。袋の印刷には「青森から驚きの旨さ」とあり、2014年末に発表された時に、米の名称「青天の霹靂」と聞いたときの奇異な印象を思い出し、「まだこの名前を使ってるの?」とびっくりした。
 
ネットを見ると「青天の霹靂」はポジティブな意味にも使うとの解説もあったが、それは、例えば「主役に抜擢され、青天の霹靂だ!」は、「ビックリしたなー、もう……、自分に務まるだろうか……、大変なことになった!どうしよう……」と慌てふためく状況としてネガティブに受け止めて使うような場合であり、単純な「ビックリしたー、ワーイ主役だ!嬉しいなー、バンザーイ、青天の霹靂だ!」ではないだろう。「ポジティブなものネガティブなもの、どちらにも用いられています」という説明は、意味の分析が足りずに、「主役に抜擢=ポジティブ」と単純に捉えてしまい、その場合も使うのだから、ポジティブな意味にも使う表現だと、誤って理解している。
「うれしい」という気持ちを隠したい場合に、「私にとっては災難です」を遠回しに「青天の霹靂です(驚きました)」と言うのであり、要するに「うれしい」場合で使う場合でも、言葉そのものは「災難」というニュアンスで使うのである。
 
昔、自民党の次期総裁に決まった三木武夫が「青天の霹靂だ」とつぶやいたことがあったが、その時は、内心は嬉しかったのだろうが、記者団に対しては、渋い神妙な顔つきであった。「総理大臣などという、とんでもないものを引き受けることになった。まいったなあ」ということであり、これが「青天の霹靂」の使い方であるが、それを知らないと、「青天」と「霹靂」に語感の良さを感じて、「『青天の霹靂』って。メッチャかっこいいけど『へきれき』って読めないだろ…」「青森の新しい米の名前が青天の霹靂だってよ。かっこいいなー」と気に入ってしまうようだ。
 
要するに、その言葉を知らなかった人にとっては、新鮮な音の響きと、新しい知識を得た感動があり、自分でも使ってみたくなるようだが、前から普通に知っていた人は、「そんなことを知らなかったの?」と逆に驚くだけであり、使い方が不自然、不適切でぎくしゃくしているのを見て苦笑するだけである。
(近ごろでは「忖度(そんたく)」という言葉が、テレビの報道番組で仰々しく話題にのせられていたことがあったが、実際に使うことは少なくても、そんなものは、話題にして珍しがるような言葉ではないので、「知らなかった人が多かった(新鮮に聞こえた)のか?」と感じた)
 
本来は「突然に起こり、周囲を驚かす」(晴れ渡った空に雷)というだけの意味であろうが、今は、「青天=平和」「霹靂=波乱」というようなイメージが作られ、そこから、突然に予想もしていなかった驚きが起こり、それは喜ばしいことではない、即ち「災難」――というような意味に使われることが多いのではないか?
「こんな旨い米があったのか、青天の霹靂だ!」とポジティブな驚きには、あまり使わないであろう。(もちろん、そこら辺は自由なので、「本来の『周囲を驚かす』という意味で使用しました」と言うことはできるが……)
 
私の解釈では、「ちゃんと”青天の霹靂(災難)”と名付けてあるんですから、ワッ、不味っ、ビックリしたなあ――と感じてもあなたの責任ですからね。そういう意味の”青天の霹靂”ですからね」ということで名付けた商品名に見える(そんなはずはないことは常識でわかりますが)。
 
「青天の霹靂」のホームページには、「誰もが驚くような旨さを目指して誕生したお米。全国の人にこの旨さに驚いて、青森に驚いていただきたい」とあり、「驚き」を強調しているようであるが、「驚き」にも、その種類、性格があり、「青天の霹靂」の驚きが、今の時代に一般的にはどのように受け止められるかの見極めを誤ったように思える。
 
ところが、「日本漢字能力検定協会」の「漢字の豆知識――中学生レベル」というホームページに解説があり(http://www.kanken.or.jp/kanken/trivia/category04/15080102.html)、そこには「驚きの度合いが大きいときの表現」とある。
「語源」として「その昔、中国の~(中略)突発的な事態に驚くことを~」とあり、元々の意味を説明しているのだが、現在は「元々の意味」で使用する人などいないのではないのか?
 
「使い方」として、「宝くじの一等賞があたるなんて、青天の霹靂だ!」「彼が生徒会長に立候補するなんて、青天の霹靂だ!」とあるが本当か?
私には「驚きだ!」というよりも、「宝くじがあたるなんて、仕事をする気がなくなって、ろくな人生にならないなあ」「あんなやつが生徒会長に立候補するなんて、ろくなことにならないぞ」と「悲観している」ように感じるのだが……。
 
「豆知識」として、「驚きの原因がいい出来事でも悪い出来事でも使っていいが、青天にカミナリが鳴るという非日常的なたとえなので、驚きの度合いが相当大きいときに使うもの」とあるのだが、これは、実際に「青天の霹靂」という言葉の使われ方を知っている人の解説ではなく、辞書にある説明を読んで解釈して記述したのではないか?
 
そこで「岩波国語辞典第七版新版」をひいてみると、意味としては「突然に起こる変動」としか書いておらず、使われ方については記述されてない。私はこれに大いに不満であり、異議を唱えたい。
「青天の霹靂」の意味は、複数の事柄が重なり合ってできているのであり、言葉自体は「突然に起こる変動」であり、そこから導かれる感覚は「驚き」であり、終局的には「突然降りかかった災難」ということである。この三つを説明して、初めて完璧な言葉の説明になると思うが?
 
以前に、ある国語辞典の編集部に、ある言葉の説明に疑問を呈したところ、「言葉は使われてはじめて生命を持ちますので、使われている文脈の志向性や、前後関係などによって更に豊かな意味を持つこともあります。しかし、それを解読するのは国語辞典ではその任に堪えません。客観的に見た事実と、合理的な推論で言葉の含意を読み取るのは、個々の受け手の責任です。そこに版元や、辞典の関係者がコメントをするのは不可能です。どうぞご斟酌の程お願い申し上げます」と、回答をもらったことがある。
 
しかし、それでは国語辞典の役割を果たさないのではないのか?と疑問を感じた。
「どのように使われるか」が言葉の意味を決定するのであり、言葉の意味を知りたいから辞書をひくのである。「言葉の含意を読み取るのは、個々の受け手の責任」では、辞書は何のためにあるのか?
 
「使われている文脈の志向性や、前後関係などによって更に豊かな意味を持つこともあります」とのことであったが、「豊かな意味」は「色々な意味」ということであり、「正しい意味」もあるし「間違った意味」もあるので、「合理的な推論で言葉の含意を読み取るのは個々の受け手の責任」ではなく、辞書が、合理的な推論で言葉の含意を説明してくれないのだろうか?それが国語辞典の役割ではないのだろうか?
 
私が批判するよりも、あるサイトに、とうに多くの人の的確な批判の言葉があったので、それを紹介すれば、実際の使われ方を知っている人が大勢いることがわかる。
 
「青森米新品種『青天の霹靂』について」から引用
 「あまりいい意味では使われないイメージがあるんだけど」
 「知事の写真が『ボクはバカでーす』にしか見えない」
 「なんか大地震でも来そう」
 「また、ビルに飛行機が突っ込んだのかと思った」
 「突然の嵐で稲穂が台無しになりそうな名前」
 「青森県人はアホ」
 「青天の霹靂だとあまり良い使われ方をしないので、雷を表す霹靂だけで良かったような」
 「青天の霹靂ってどっちかというとマイナスなイメージ」
 「こんなネーミング考えたやつも採用したやつも揃ってアホだろ」
 「青森県民って馬鹿なんだろうな、って感想しか抱かないネーミングだな」
 「これで行けると思った奴の学とセンスが無さ過ぎてホント泣ける」
 「霹靂ってPOPに書くのがだるくて取り扱い停止する店が続出」
 「青天の霹靂と言われるとやっぱり不穏な感じが先にでちまうよなあ」
 「不吉な意味も知らずに中二病のやつがつけたな」
 
(私の感想)「やっぱり……」
 
関係者(青森県知事も含めて)の中に、強く反対する人がいなかったことが不思議であり、だから、米に関わった人だけでなく、青森県人全員を道連れにアホと評価されるようなことになるのである。
 
さらに、「なぜこんな名前に……。青森県が公募で決めた新米の名前にまさかの批判殺到。青森県が、先頃、新たに誕生した品種について、その名称を『青天の霹靂』としたことが、早くもネット上で物議を醸している」(http://news.livedoor.com/article/detail/9459177/)との報道もあり、「驚き」ではなく「災難」という言語感覚が正常であり、この記事にある通り「突発的に起きた災難などについて述べる機会が多い」「常識を疑う」というのが大勢の人たちの見解であり、「日本漢字能力検定協会――漢字の豆知識」や「岩波国語辞典」の説明の方に疑問を感じる。
 
そして、昨年の2、3月には、「『青天の霹靂はうれしい驚き』キャンペーン」を行い、そこには「『思いがけない驚きの出来事』を意味する『青天の霹靂』の名にちなんで、大切な方へ“『青天の霹靂』が突然やってきた!”という、うれしい驚きをプレゼントする企画です」とのことで、さらに、「青天の霹靂」の説明として、「『霹靂』は稲妻のことで、稲に寄り添い米を実らせます。晴れわたった空に突如として現れる稲妻のような鮮烈な存在になりたいと名付けました」とある。
「私たちは、『青天の霹靂』をポジティブな意味でとらえて命名したのです。決してマイナスなイメージがあることを知らなかったわけではありません」と、「うれしい」をアピールするのに懸命な様子に見える。
きっと青森県民からの非難にさらされ、「青森県産業技術センターが10年の歳月をかけて開発した期待の新商品のはずだったのに、宣伝するのを憚られる名前にしてしまったとは……」と、身内からの抗議に「青天の霹靂」(よく使われるネガティブな意味)であったのだろう。
 
「E電」、「母さん助けて詐欺」は自然消滅したが、「青天の霹靂」をそのまま販売していては、いつまで経っても消えないぞ!「改良しました」とか理由をつけて、後継の新商品を発売して新ネームにするのはどうだろうか?もしくは(こっそりと)「青の霹靂」、そして時期をみて「青い霹靂」に、そして「霹靂」にするのはどうだろうか?
 
昔、伊勢丹の地下食料品売り場で、米粒が大きい、岐阜県の品種「初霜」を気に入って購入していたのだが、今は入手方法がわからない。それと似ている感じがして、粘りが弱いサラサラした感じ――というか、弾力があるというか――が良かったので(「粘りとキレのバランスがいい」と表現するようだ)、「コシヒカリ」をやめて、こちらに変えてしまった。
 
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ついでにもう一つ「できかねます」について
 
以前、ある会社に席(机と椅子)を置かせてもらっていたとき、そこの女子社員が顧客に「できかねます」と言っているのを聞くことがあったが、そのたびにギクッとしていた。
最近も、私が電話で問い合わせをしている時に、相手の女性が「できかねます」と丁寧な口調で答えるので、「ん?」と違和感があり、世間と私とで何かズレがある――と考えて究明を試みた。
 
「できかねます」と、短く一言で言う場合は、不機嫌そうな顔つきでビシッと言うものである。
 
「できかねます」のネットの解説をみると、「できないの敬語表現」となっているものばかりだが、過去の違和感はこれが原因か!
 
「できかねます」は「できねーよ」を柔らかく丁寧に言っただけあり、敬語ではない。
「できかねます」と不機嫌そうな顔つきで言っている情景が頭に浮かばないようでは、「国語力の低下」を嘆かざるをえない。
但し、敬語でなくても丁寧な言い方ではあるので、例えば「お受けできかねますことをご承知下さい」と前後を「お、御」で補充すれば(結局、「できねーよ」ということであるが)、全体として拒絶感を緩めることはできる。
 
さらにネットを検索すると、一つだけ、正しい説明をしている下記のものがあった。
 
「『~かねる』は『~ない』の婉曲表現であって、どうころんでも敬語ではない!これをビジネス敬語だと教える日本語知らずの日本人がいるらしい。『できかねる』は『できない』のつまり『ない』という否定表現を避けて言い換えた婉曲表現にすぎない(より正確には、『かねる』はそれ自体で不可能すなわち『できない』の意味である)」
 
上記の解説は納得できるが、「できかねます」は、婉曲というよりも、正面からはっきりと拒絶していても、「できねーよ」ほど失礼に感じないだけである。
 
ネット上には「『できかねます』でなく『致しかねます』を使うべし」と解説しているものもあるが、言い方を変えても、「かねます」が強い拒絶を表しているので、敬語にはならない。「拒絶する」ということが「敬う」ことと相容れないからである。
そして、「致しかねます」だと、丁寧な分だけ拒絶感が重々しくなるので、逆効果だと思う。「慇懃無礼」という言葉も頭に浮かぶ。
「致します」が謙譲語だから敬語だろうと思っているのだろうが、言われたほうは「コノヤロー(怒)」と感じる。
 
じゃあどうすればいいの?ということであれば、方法としては、「できない」という直接の意味を持つ言葉を使わずに、できないことを伝える(婉曲に)か、「スミマセン、できないんです、許して下さい」とあっさり言うかだろう。
 
(2017/11/21)
正しい説明をしているものを、もう一つ見つけた。
「Le plus beau jour de ma vie(毎日が最良の日)」「『できかねます』は敬語?」というブログ(8年前のもの)で下記の記述がある。(ブログから抜粋して箇条書きにした)
1.「かねる」は「できない」や「~するのが難しい」と言う意味です。
2.私が「できかねます」と言われて不快に思ったのは「かねる」という言葉の中に否定の意味を感じて、それをぴしゃりと言われたことで、より強く否定されたように思ったからかもしれません。「かねる」にはかなり濃く否定のイメージがあると思うのですが……。
3.私は「できかねる」という言葉は決して敬語ではないと思います。
 
上記は、私の言っていることとまったく同じであり、私のごちゃごちゃした記述より、要点をズバリとわかりやすく、短く述べている。

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