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2017年4月24日 (月)

キレイかどうかよりも、城の価値は? 「岡山城がカラフルに」「原爆ドームのイルミネーション」「唐突」の意味

岡山城が、5月7日までマスキングテープでのカラフな外壁装飾を行い、「きれい」「カワイイ」との評判らしいが、昨年暮れの原爆ドームのイルミネーションを思い出した。
 
原爆ドームにイルミネーションを点灯するのはきれいだからか?「きれいにしたい」のか?原爆ドームは何のために残しているのか?
そのままの姿を留めることを目的としているのだから、飾り付けをするのは間違っているだろう。きれいでいいと賛成する人もいるが、きれいかどうかという問題ではないという気がする。
 
岡山城の装飾は、気晴らしでいいのかもしれないし、人それぞれの考え方だとは思うが、脳みそのどこかが緩んでいると思われないように気をつけた方がいいかもしれない。
 
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2016年12月6日のテレビ朝日「スーパーJチャンネル」で、原爆ドームにイルミネーションを点灯することについて、インタービューされた年配の男性は「唐突ですね」と反対の意を表していたが、唐突かもしれないが、それよりも、やっていることに奇異を感じるのであり、「唐突」かどうかではないと思う。

2017年4月10日 (月)

「ナルシスト」は間違いで「ナルシシスト」が正しい? 外国語の発音をカタカナ表記しておいて正しさを決められるのか? フジテレビ「フルタチさん」 「カタカナ言葉」「カタカナ語」

むかし、テレビのクイズ番組で司会の愛川欽也が、ピアノ曲「乙女の祈り」の作曲者の名前を出題して、解答者が「バダルジェフスカ」と答えた。
普段クラシック音楽を聴くことがないのであろう愛川欽也は、自分の手元にある正解に「バダジェフスカ」とあったので、解答者の答えは「ル」が余分であるから不正解、とした。
よく使われる「バダルジェフスカ」という表記を知っていた解答者は、自分の答えが不正解とされたことに目を見開いてビックリしていた。
愛川欽也は、外国語の発音をカタカナできちっと表現できるものだと思っていたのであろう。外国語が日本語に持ち込まれたらどうなるかを考えられない無教養な人だと呆れて見ていた覚えがある。
(もし、演劇人であり、外国の戯曲に触れているならば、外国人の名前は日本語では様々に表記されることはわかっていると思うのだが?)
 
昨日のフジテレビ「フルタチさん」で、『NHK日本語発音アクセント新辞典』が大きく改訂され、これはアナウンサーにとって大きな影響があることを紹介し、続けて「カタカナ言葉、正しいのはどっち」というクイズをアナウンサー相手にやっていたのだが、そこで出題されていた問題とその「正解」を見ていて疑問を感じた。
 
出題されていたのは固有名詞ではないのだが、例えば、「ナルシスト」は間違いで「ナルシシスト」が正しいとの説明がなされていた。
その理由は、綴りが「narcissist」であり、外来語は原語に忠実であろうという方針であるからというものであった。
 
しかし、そこで言っている「原語に忠実」というのは「原語のスペルに忠実」という意味であろう。スペルを「見て」「正解」とする根拠はあるのか?音で「聴いた」場合も、「ナルシスト」でなく「ナルシシスト」と聞こえるのであろうか?日本人の耳では、微妙な「…シシ…」の部分は聞こえないのではないだろうか?
この場合は音を優先すべきであり日本語にする場合は「ナルシスト」にするのが「正解」、とならないだろうか?
「ナルシスト」では「シ」が一つ足りないから不正解、では愛川欽也と一緒だ!
 
ほかにもいくつかクイズを出して、英語のスペルに従った発音を正解としていたのだが、「dachshund」だけは「ダックスフンド」ではなく「ダックスフント」が正解であり、その理由は、「原産国がドイツの犬種なのでドイツ語の発音に従う」とのことである。
しかし、その理屈で「ダックスフント」は本当に正解といえるのか?「ドイツ語の発音に従うのが正解」ならば、「ダァークスフゥントゥ」になってしまわないのか?
明治時代から、ドイツ語の発音に従おうとして「ゲーテ」とか「ギョエテ」とか言っているうちに、収まりがつかなくなってしまい、その混乱を皮肉られていたことを知らないのか?(斎藤緑雨)
 
以前にテレビ番組で、ある出演者が、「列車の英語での案内アナウンスで、日本の駅名なのに、それをことさら英語式で発音するのは嫌いです。駅名は日本語なのだから、普通に日本語で発音すればいい」と言っていた。
それは、例えば、「池袋」ならば平坦に「いけぶくろ」と発音すればいいのに、英語のアクセントで「イッケブックロ」と「イ」と「ブ」に力を込めることに文句を言っているのである。
 
しかし、この出演者の意見は間違いである。英語には平坦な「いけぶくろ」という発音はないのだ。
アナウンスは「英語」であるので、そこで使われる言葉は全て英語になってしまい、「池袋」は「イッケブックロ」に変わるのだ。
同様に、外国語だって日本語に入ってくれば、日本語に変わるのが当然なのだ。
 
日本語と外国語では発音が根本から違うのであり、外国語から日本語のカタカナ言葉に変換する場合に、どのように変換するかを決めるのに「原語に忠実」というのは要素の一つにはなるだろうが、それだけで決めるようなものではない。それよりも、日本人が聞きやすく発音しやすいというのが最も重要なことである。
 
それと、すでに定着している言葉の場合は、もっと適したものがあったとしても、そのままにしておくというのが混乱をおこさないために必要なことである。
どのようなカタカナ言葉に変えても、どっちみち原語とは異なっており、原語に近づいたつもりになっても、日本人がそう思っているだけである。
 
「フルタチさん」に出演している言語学者の金田一秀穂は「外国語は促音の後の濁音が多いが、日本人は苦手なので濁音を取ってしまう場合が多い(例.ビッグ→ビック)」と言っており、それならそれでいいではないか!それのどこが悪いのだ!
 
思考の浅い人たちが考え違いをして「正解」を決め、それを広めるという、ろくでもないことをしているという印象を抱いた。

2017年3月16日 (木)

面積寸法を測らないで家を購入する人がいるか? 「実際に、家を購入した後に駐車できないことに気づいた方もいらっしゃいます」 テレビ朝日「ハナタカ優越館日本人の3割しか知らないこと」

テレビ朝日「ハナタカ優越館日本人の3割しか知らないこと」で「失敗できない住居選び」について解説していたのだが、カースペースについて、軽自動車しか駐車できないスペースでも「カースペース有り」と表示されている場合があるので、注意が必要とのこと。
 
そして、不動産の専門家が「実際に、家を購入した後に駐車できないことに気づいた方もいらっしゃいます」と言っている。
 
家を購入する前に、自分の車の大きさと、カースペースの大きさを確認しない人がいるのか?
まあ、世の中にはそういう人もいるかもしれませんね。
 
「『カースペース有り』は、注意が必要」というのは、「広告の表示(広告を見る場合)についての注意」であって、「家を購入する場合(購入する時点)の注意」とは違うだろう。
 
「カースペース有り」の表示をそのまま信じて、寸法を確認しないまま家を購入する人はいないだろうから、「家を購入した後に駐車できないことに気づく」などは特殊過ぎると思うが、番組関係者は誰もそう思わなかったのだろうか?

2017年3月 7日 (火)

思わないが? 「誰だって、安倍総理が口利きに関与したと思う」「花田紀凱の週刊誌ウォッチング」「森友学園への国有地払い下げ」

3月4日の産経新聞「花田紀凱の週刊誌ウォッチング」で、花田紀凱が、「週刊文春 3月9日号」のタイトル「キーマン実名初告白 安倍晋三記念小学校”口利き”したのは私です」について、「自民党政治家が介入しているのではと国会で追及している最中にこのタイトルがくれば、誰だって、安倍総理が口利きに関与したと思う」と書いている。
 
どうして?
 
安倍総理が関与を追求されている時に「キーマン実名初告白」とくれば、「影の人物が現れた!」と思うだろう。
そして、どういういきさつがあったのだろう?という興味でこの記事を読むと思うが、その裏事情は読んでみないとわからないではないか!
このタイトルで「誰だって、安倍総理が口利きに関与したと思う」というのはどういう論理思考なのだろう?
 
花田氏は「どこかで、安倍総理が関わっているはず」と思っており、「裏事情を知っている人物の告白」とくれば「真実=安倍総理の関与」がついに暴かれたに違いないと思ったのか?
 
そして、花田氏は、安倍総理が関与したと書いてないので「完全な肩すかし」と言っているが、それは自分がタイトルを見て思い違いをしただけのことでは?
 
「『週刊文春』ともあろうものが、このタイトルはいただけない」などと、意図して読者を錯覚させるようなタイトルをつけたことを非難しているようだが、そんなことはなく、読者の興味を引こうとするだけの普通のタイトルである。
 
かつての「週刊文春」の数々のスクープを思い起こし、大スクープを期待したのだが、外れの内容だったということだろうが、それはしょうがないだろう。じゃあこの記事内容にどういうタイトルをつければよかったのだ?

2017年3月 3日 (金)

「部下が決めたことで、私が口を挟む余地はない」というのは当然のことであり「責任逃れ」ではない 「石原元都知事の記者会見」「豊洲市場移転問題」TBSテレビ「Nスタ」「定番の台詞」「浜渦氏はテレビ出演で説明済みだが?」

今日、豊洲市場の問題について石原慎太郎元都知事が記者会見を行った。
石原氏は、豊洲新市場移転を決断、裁可した理由について「私は専門家ではない。専門部局に一任するしかない。専門委員会もあり、そこで調査もしている。だから裁可した」とのこと。
 
それに対して、「裁可した最高責任者の責任とは何か?」との疑問が出ていたが、質問している記者も、この疑問を発した司会の橋本五郎も、この点がわかってないようだ。
どこを視野に入れているかによるのだ。
 
社会全体を視野に入れているならば、都に責任がある場合は、組織をまとめる立場であり「都政の代表責任者である人物」の都知事が追及される。トップの責任というのはこの場合をいうのである。
 
都政の内部を視野に入れているならば、実質的責任は担当部局にあり、都知事に責任はない。実際問題としてトップにはわからないことであり、「責任逃れ」ではなく、タッチしてないので責任の負いようがないのだ。(もっとも、「人まかせが過ぎた職務怠慢である」「本人の体質が無責任である」というのは、また別の問題である)
 
今回は、「豊洲への移転に関する決定をした責任者は誰なのか?」を追求しようとしているのだから、都政の内部を視野に入れているのであり、「都政の現場にいて事情を知っている人物」として石原元都知事は質問を受けているのだから、「部下に責任があり、自分は知らない」というのは事実を述べているだけである。
この場面で「トップであった自分の責任である」と表明しても事実の究明には何の役にもたたない。
あるインテリめいた人が放送で「人のせいにするとは尻の穴が小さいやつだ。こういう場合は、全て自分の責任ですと言ってこそ男だ」とおちゃらけた調子で述べていたが、どうだろうか。そんな場面だろうか?
 
記者たちは、そこがごちゃごちゃになっているので、都政についての全ての責任は都知事にあると思い込んでしまい、部下しか知らないかもしれない詳細な事実関係を、「組織のトップの責任という建前」で追求しているのである。
 
TBSテレビ「Nスタ」でも、「自分は知らないと言うのは、組織のトップとしての責任を自覚しているという発言と矛盾している」と解説していたが、都政内部の話と社会的責任の話が別々のことであるのを区別できず、矛盾に感じてしまっているのだ。
 
石原氏は、「やるべきことをやらずに事を看過し、日々築地で働く人を生殺しにしたままほったらかしにして。しかもランニングコストにべらぼうなお金がかかる。あるいは、築地の方々への補償もべらぼうなお金がかかる。こういった混迷、迷走というものに対する責任は、今の都知事、小池さんにあると思います」と言ってるが、その通りだと思う。
 
豊洲移転問題は、小池知事が自分のポーズ作りのためにやっているのであり、自分を正義の側に置くのにいい材料だと目をつけて行っている……ような気がする。
石原氏は、「小池知事が自分の権限で豊洲移転を決定すればいいのに、なぜそうしないのだ!」と言っているのだ。
 
小池知事は、世間の石原元都知事への悪い印象を利用し、それに乗っかる発言(「よくわかりませんでしたね」とか)をすれば、世間は賛同して自分に共感を抱くに違いないと読んで、うまく立ち回っている……ような気がする。
石原氏は、「私を踏みつけることで、都民の機嫌をとるな!」と怒っているのだ!
 
最後に質問した記者の、「瑕疵担保責任の解除について知ったのが東京都側からの質問があった時点であり、それまで知らなかったのならば、今日の段階で、そこのとをなぜ浜渦さんに問いただしてこなかったのですか?当然把握しているべきですよね?最高責任者として。なぜ浜渦さんに会わないんですか?あれほどの側近であったのに。今日の会見のこの場で私たちによくわかるように説明するのが石原さんの責務ではないのですか?」は、今日の会見に出そうな質問を予想して、その準備をしてこなかったことを糾弾しているのか?
 
司会の橋本五郎も、「知事をやめた後でもこの問題に責任をもって関わり、自ら調査し、記者にわかるように説明できるように準備してくる義務があったのではないかと私も思う」とフォローしていたが、それなら記者側も、どこら辺を質問したいのかを石原氏に通知しておくべきではなかったのか?
「重大問題なので、質問されることはわかっているはずだ」としても、回答の準備の依頼を通知をしておけばいいではないか!
「回答できないと知らなかったので、回答の準備を依頼するのは不可能」というならば、石原氏も同様に「質問されると思わなかったので、準備しておくことは不可能」ということであり、堂々巡りだ。
 
この記者の、上から言って聞かせるせるような「だから、それを訊いてくるのが石原さんの責任だったのではないですか?今日の会見の」というバカにした声の調子にはぞっとした。
 
最後に、「都民の方は納得されたと思いますか?」と叫んだ女性記者の、この定番の台詞は、「やっぱり出たか!」とうんざりさせられるものであった。
 
ニュース番組のレポーターが、鋭い追求をして活躍している様子を番組内で映すための場面作りのための質問をしたり、正義を気取った幼稚な意識で反省を求めたり、説教するような態度であったり、とっちめたり侮辱するような言葉を吐いたり、事実の追求でなく自分の主観を述べてそれに対する意見を求めたり、ジャーナリズム精神の欠如した姿勢、そんなものだけが伝わってくる、記者の程度の低さが、やたら目につく会見であった。
 
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○疑問
しかし、瑕疵担保責任の解除については、以前に、元副知事の浜渦氏がテレビ番組に出演して、時系列で詳細に説明していて、浜渦氏の手を離れた後(石原知事に解任された後)に行われたので、いつ誰がそんなことをしたのかは自分は知らないと述べていた。
このテレビ発言を記者たちは知らないのか?
 
「週刊文春 3月9日号」にも取り上げられていたが、石原元都知事の失政を糾弾するならば「新銀行東京」の件ではないのか?

2017年2月25日 (土)

安倍首相夫人は人を見る目がないのか?親たちは何も感じないのか? 「森友学園では、園児に中国、韓国に対する非難を言わせている!」

今日のテレビ朝日「スーパーJチャンネル」で、あきれた映像が報じられてしていた。
安倍首相夫人が名誉校長を辞任した森友学園だが、運動会の宣誓で、園児が「尖閣列島は日本の領土です。中国、韓国はウソをつかないで」というようなことを言っているのだ!
 
やっていることが、幼い頃からの教育で反日感情を植え付けている、中国、韓国と同じではないか!
相手の反日教育を非難できなくなることに気づかず、自分のやっていることの矛盾を理解できていないのだろうか?
 
自分の頭で考えることができる人間になるように指導するのではなく、自身の政治的な主張を、まだ理解もできない園児に暗記させて言わせるなど、まともな教育者のやることか?
 
安倍首相夫人がこんな学校と関わったということは、人を見る目がないのか?
このニュースを見た人はびっくりしてあきれるだろうが、運動会を直接目の前で見ている親たちは、この異常さに気づかず、自分の子どもを通わせて平気であり、何も感じないのだろうか?
宣誓をしている園児の親は、選ばれて皆の前で宣誓していることを誇りに思っているのだろうか?

2017年2月23日 (木)

「希望の日時」とは「在宅している日時の通知」ではないと思うが? 「ご希望の日時をご連絡下さい」

住んでいる集合住宅では、地上波放送は有線で提供されているのだが、ケーブルテレビの定期点検を実施するということで、希望の日時を連絡するようにとの「お知らせ」があった。
それで、第一希望日から第三希望日までを通知したのだが、それ以後連絡がなく、第一希望日には点検に来なかった。
 
どうなっているのかと、相手の会社に電話して状況を訊いたところ、調整ミスや連絡ミスとかであったとの説明はなく、たいそう恐縮して慌てた様子であった(私は穏やかに普通の調子で話しているのに……)。
おそらく、こちらの意識と食い違っていたようで、私は点検日を双方で調整して決めるのかと思っていたのだが、そうではなく、こちらの希望日のうちのどれかには来るつもりであったようだ。
 
「お知らせ」にあるのは「ご希望の日時をご連絡下さい」だけであり、「決定した実施の日時は、ご連絡いたします」とは書いてないので、「希望の日時」を「その時間は在宅しています」と解釈して、決定日を相手に連絡する必要はないと考えているように思えた。
 
数年前の点検の時はこんなことはなかったように思うのだが、段々とやり方や人の意識が変わってきているのに、私がその変化に気づかずにいたのだろうか?
発想の自己中心的傾向が強くなってきている、もしくは論理思考が衰えているような気がする。
 
限られた作業人員で多くの住居を訪問するスケージュールを、相手の都合に合わせてピタリと決定するのは難しい(点検作業だけでなく、セールスも同時にやろうとすると、時間の見積もりができない)。三つ程の候補日の範囲で、作業の進み具合によって自由に選択しながら余裕を持って行わないと、やってられない。日時を決定してしまうと、必ずその時間に行かなければならないのできつい、というのは理解できるのだが……。
 
「在宅している日を希望日にするはず」だから「希望日=在宅日」としてしまい、その考え方が間違っていることに気づいてないのではないか?
 
相手は、「発想のズレた客が、点検日の回答がないと腹を立てている雰囲気だ。言っていることは正しいかもしれないので、怒らせないように対応しよう」と思っているような気がした。
 
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(2017/2/27)
後日、決定した日にやってきて、丁寧にチェックしてくれ、私が自分で取り付けたコネクタのせいで信号のレベルが下がっていると個所と、どの程度下がっているかを教えてくれた。
ネット上の「セールスが目的では?」との情報を見て警戒していたのだが、ケーブルテレビへの加入のセールスはまったくなかった。警戒しすぎたかもしれない。
 
但し、自分達の技術力の高さと、障害時の対応は任せて下さいと、信頼感を抱かせる説明はしていた。
もしかしたら点検しながらの会話で、私が「テレビは全然見ないんですよ」とアピールしたのが効いたのか?ケーブルテレビ会社の社員に対して失礼だったかもしれないなあ……。

2017年2月10日 (金)

ハアッ!収納はどうするの? テレビ東京「インテリア日和」背の高い収納棚をどかして小さなソファーを置けばスッキリします。提供「ニトリ」

今日のテレビ東京の「インテリア日和」という短い番組で、まず最初に、親子三人が暮らしていて、部屋の中の家具の配置が悪く、特に、収納棚の引き出しがテーブルにつかえて、その都度テーブルを移動させなければならないほど、使い勝手が悪くて困っている様子を見せていた。
 
なるほど、私が見ただけも、考えてない配置だと思った。改善の様子を見せるためにそうしたのだろうか、わざとらし過ぎるのでは、と思えるほどの家具の並べかたであった。
 
だが、他に収納棚を置けるける場所がなく、引き出しがテーブルにつかえる場所であっても、そこに置くしかなかったので、しかたなくそうしているのであろう。
 
次のシーンで、どう改善すれば良くなるかを見せるのだが、そこでは当然、家具の専門家が配置を考え、素人では考えつかない合理的な家具の「位置の入れ替え」をおこない、工夫やコツを見せてくれるものだと思っていた。
 
ところが、「こうなりました」と見せたのは、「棚の上にまで物が雑につまれた、背の高い収納棚」が”消えて”その場所に「新しい、青く鮮やかな、(ニトリの?)小型のソファー」が置かれているのだ!
そして、ナレーションは「背の高い家具は圧迫感がありますので、低い家具に換えるとスッキリします」と言っている。
 
「背の高い収納棚」がなくなって「ソファー」になって、この三人家族の生活は大丈夫なのだろうか?
 
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(2017/2/17)
内容が連続しているの番組のようであり、先週の続きがあったようだ。
今日は、新しく追加で設置する背の低い収納棚を説明していた。ここに全部収まるのだろうか?
 
「続きは来週お送りします」を入れた方がいいと思う。

2017年2月 5日 (日)

安直過ぎる見解では? 養老孟司「人工知能が勝つのがあたりまえ。計算するための機械だから」 フジテレビ「フルタチさん」「古舘がひっかかる!私たちの未来をこんなに変えちゃうハイテクSP」

フジテレビ「フルタチさん」で最近の人工知能、AIについて取り上げていて、人工知能が、将棋でプロ棋士に勝利していることについて、脳科学、解剖学の研究者である養老孟司に質問していた。
 
回答は、「人工知能が勝つのがあたりまえですよ。コンピュータは計算するための機械でしょ。人間がオートバイと走る競争をしますか?」とのこと。
 
そんなXXな!(XXはNGワードです)
この人は脳科学の著名な学者ということで、人工知能についての見解を聞きたくて質問したのであろう。
だが、こんな素人レベルの感想を放送してどうするのだ?
 
さっそく、スタジオにいる憲法学者の木村草太が、この養老孟司の見解を否定する発言をしていた。
「『意味』というものがわかってない」と苛立っているようだったが、要するに「そういう事ではない。答えのピントがズレている」と言いたかったのだろう。
 
脳科学者の見解が否定されて、司会の古舘伊知郎もちょっと慌てた様子であったが、木村氏は、間違った発言と見抜き、指摘せずにはいられなかったのだろう。
しかし、どこが間違っているかを分析できなかったので、「意味」ということで漠然と指摘したようだが、具体的に言えば、「実行効率(処理能力)」がポイントなのだろうか?ということなのだ。
 
養老孟司は脳科学の研究をしていても、人工知能、コンピュータについては詳しくなく、そちらの方面では完全な素人であったということだ。そのことは当然であり、まったくかまわないのだが、「機能(の実現可能性)」でなく「実行効率(処理能力)」に注目してしまい、「機械の方が効率が良いのはあたりまえですよ」という意味の回答をしてしまっているのだ。
 
「人工知能が勝つのがあたりまえ」であり、その理由が「人間よりも、専門に特化した機械の方が優れているのは当然」と何とも単純なのは、人工知能の実現を当然と考えられる理由を理解していてそこに何の疑問も感じてないか、コンピュータ技術を無条件に信じることができるのか、どちらかだろう。
 
人間が走るのとオートバイが走るのを比べると、エネルギーを消費して位置を移動するという、根本的には同等のことを、オートバイの方が工学的に強化、合理化して行っているので格段に効率的に行える。
だが、プロ棋士の頭脳の働きと、人工知能の動作は、はたして同等のことをしているのだろうか?
 
人間の頭脳と同等のことを、人工知能はどうやって実行しているのだろう?どうしてそんな「機能(の実現)」が可能なのかが、不思議なのである。そこを、脳科学者はどう見るのかに興味があり、知りたいから質問しているのである。
 
それなのに、「実行効率(処理能力)」に目が向いてしまい、「コンピュータは計算するための機械だから、そこは人間よりも優れていて当たり前。機械の方が優れていることに疑問を感じる方がおかしい」と質問の妥当性を否定しているのだ。
しかし、質問している側の気持ちは、人工知能の実現が可能な理屈が納得できれば、機械の方が人間よりも効率が良く優れていることには何の疑問もないのである。
 
ベストセラーの著作がある優れた学者が、こんなピントはずれな考えを述べるのは、何か「壁」があるのだろうか?
脳科学の研究をしているのだから、人工知能についても関心をもっていて、かなりの見識があるにちがいないと思った番組制作者の思い違いであったということだ。
 
私が解説するならば、最近のプログラミング技術の向上とハードウェアの動作スピードの向上により、人間の頭脳の「機能(思考能力)」よりも、コンピュータのパターン探索機能の「実行効率(処理能力)」の方が上回った結果だということだ。
人工知能は、わずかの機能(思考能力=採用しているロジック)を、桁違いの実行効率(処理能力)の拡大(何千億回の繰り返し実行)という力わざを使って勝負しているのであり、人間は、飛び抜けた機能(思考能力)を、体力の限界と体調や心理状態と時間に追われながら縮小して勝負しているのである。
 
「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」の「数」がものすごい高速連射スーパー機関銃に、射撃の名手が負けたということだ。射撃の腕よりも、弾丸の数の方が優っているということである。
すなわち、人間の思考がコンピュータのデータ処理量に負けたのである。
 
人間の頭脳と人工知能は、「機能(思考能力)」と「実行効率(処理能力)」という異なるもので闘っているので、人間とオートバイの「効率」同士の勝負では機械にかなうはずがない、という状況とは異なる。
それを、同じであると見なした養老孟司の見解に対して、木村草太の明晰な頭脳の機能(思考能力)が、瞬時に違和感(「意味が!?……」)を作り出したのだ。
(オートバイと並んで走るのと同じなら、そんな勝負をするはずないでしょう!人はそれほどXXではありませんよ)
 
若い頃、部下に「一台のコンピュータでプロセッサは一つしかないのに、なぜ同時に複数の仕事ができるのか」を教えてやろうとしたところ、不思議そうな顔をされ「だって、そういうふうにできているからでしょ」と言われて絶句したことがあった。
中の仕組みがわからなくても、「実現できる構造になっているのだ」と疑問を抱かず納得できる感覚にびっくりしたのだが、メカ音痴ともいえる種類の人々がいるのだろうか?
 
人工知能の実現に何の驚きも感じない人は(まさが脳科学者が、とは思うが)、逆に、「どうして機械が人間の頭脳に勝つのか?」という疑問を持つ人の感覚を理解できず、「疲れ知らずのパワーのある機械の方が優れていているのはあたりまえではないか。何でそんなあたりまえのことがわからないのか?」と思っているのではないだろうか?
 
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(2017/2/9)
下記のブログを見つけた。
 
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(2016/5)
先日の養老孟司さんの講演の中で、囲碁の棋士がディープマインド社の人工知能と勝負して負けた時に、マスコミが、「人間の脳と人工知能はどちらが上か?」の質問をしたそうです。
 
その時、養老さんはアホな質問をすると思ったそうです。誰でも、自分より能力のないロボットやパソコンなどは持たないでしょうとのことでした。
 
「まあ、そうですわね。自分に足りないものを補ってくれるのが人工知能ですわね」
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このブログを書いた人は、納得したような言葉で受けとめているが、何かおかしいと感じ、引っかかるものがあったので書き始めたのだが、どう反論していいかわからなかったのではないか?
「んんん……? 納得できないような……?」という余韻が感じられる。
 
「能力のないものを使うわけない」それが人工知能の方が上である理由になるのだろうか?
理屈が簡単過ぎないか?というより、そういう話をしているのではないのでは?どこかで話がすり替わっていないか?
 
この場合は、「人工知能が注目されるようになり、人間が試合で人工知能に負けた状況」で、「もしかして人工知能の方が上なのだろうか?という驚きがある状況」での質問なのだ。
「誰もが人工知能を持っていて、便利に使っているという状況」で質問したわけではないのだ。
 
この脳科学者、解剖学者は、どんな場面でも、スパッと核心を突いた鋭い切れ味の言葉を吐いて、人に自分の脳の分析力を披露するのが癖になってしまっているのだろう。
 
むろん、世の中にある全てのツール(包丁でもオートバイでもロボットでも)が、人間の能力を補う、すなわち人間より能力が上にきまっているが、今は、未知のもの(開発中のもの)について議論しているということがわかってないのだろうか?
 
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(2017/2/14)
人工知能は今現在、まるで実現していない。プロ棋士に勝利する「将棋ゲーム」が完成したとしても、人工知能研究を一歩前進させるための研究材料ができただけであるが、そう言ってしまっては身も蓋もなく、夢も希望もないので、さも「ついに人工知能が人間を上回った」ような雰囲気を作り出しているのである。
マスコミはそこら辺を疑い、見識がありそうな文化人に質問しているのであるが、自身がわかってないだけでなく、一般人の常識的な疑問さえも否定する人に当たると、デタラメな報道をするはめになる。
 
先ほど送られて来た、あるIT専門のメールマガジン(ITproメール monthly 2017年2月14日)に載っていた一文を紹介しておこう。
「今、人工知能(AI)は日本でも一大ブームになっている。『AIは人間の脳の構造と同じ仕組みで、人間を凌駕するだろう』などと喧伝されているが、それは今の話ではない。ITベンダーはAIで可能になるバラ色の世界、大いなるビジネスの可能性を説くが、単に『技術的に可能』と言っているだけで、導入しても成功する可能性はほとんど無いのが現状だ」
 
「人工知能が勝つのがあたりまえ、人間より能力がないはずない」どころか、人工知能はまだ存在していないのだ。
では、なぜ巷で「人工知能」と言われているのか?それは「人工知能」だから「人工知能」と名付けたのではなく、「ネーミング」により「人工知能」と呼ばれている(いい呼び方だから、そう呼ぶと格好いいからという理由)のであるが、その区別がつかない人びとが、前者の理由によるものだと誤解しているのである。
(「ディープラーニング」により「自動運転」や「ガン発見」に応用されていることはわかってますよ)

2017年1月23日 (月)

自分は大麻のことをわかっていると得意になってる? 「高樹沙耶被告の初公判」「法律に抵抗する場合の覚悟と態度」「反則金の支払い拒否」

日本テレビ「ミヤネ屋」で元女優の高樹沙耶被告の初公判のニュースを伝えていた。
 
「大麻を取り締まるのは間違い」と持論を展開するならば、しっかりと「大麻を取り締まるのは間違いであるのだから、大麻を取り締まる法律を自分に適用されるのは承服できない」と主張すればいいと思う。
 
だが、その主張と同時に「私のものではない」と「同居人の所持しているものを私が吸ったからといって、私が所持しているわけではない」と罪を逃れるための説明をしたり、「大麻を吸ったことのない人が法律を決めるのはおかしい」と欠陥のありそうな理屈を論じるのはどうだろうか?
 
高樹被告は、「家族が百万円もっていれば、それは自分の所有となるのか?」と、なかなかわかりやすい反論をしているが、「自宅に保存してある大麻を共用しているならば所持に加担しているということでは?」と再反論したくなれども(なるのだけれど)、「吸ったが所持してない」と、法律から逃れるための論点の選び方はうまいと感じる。
 
しかし、家庭での生活区分の曖昧さや、法律の意味や解釈や適用で自分を有利にもっていこうとしては、せっかくの大麻の医療効果の正当性の主張もかすんでしまうのでは?と思う。
 
逮捕前から「大麻は決して悪いものではない」という持論を展開しているようであり、裁判でも「自分の方が他の人々よりも大麻についての知識がある」と、自分を優位においていることから発する自信があるように見えるが、「大麻は私のものではない」という弁明とチグハグ感がある。
 
私も昔、「進路変更禁止違反」で白バイに捕まった時に、「安全にも問題はない状況であり、そんなもので取り締まられるのは承服できない」と主張したことがある(急いでいたので、反則キップにサインはした)。警察官はしきりに「あなたの安全のために取り締まっているのだ」と反論していた(捕まった私ではなく、捕まえた警官の方が反論していた)。
 
その後、反則金の支払いを拒否し、警察からのはがきにも応じず、とうとう「逮捕される場合もあります」との通知が来たので警察に電話した。警察からは「検察庁へ送ってくれということですね?」と聴かれたので「そうです」と回答した。
 
反則金での処置をとらなかった後に主張を認められなかった場合は前科がつくので、前科一犯になる覚悟をしての対応だったが、3年の時効を迎え、そのまま終わってしまった。検察官との議論の応酬を想定していた(たかが「進路変更禁止違反」ではあるが)ので少々残念であった。
 
法律に抵抗するならば、罰を受け入れる覚悟と、意見を示そうとするしっかりした態度で臨むことが大切だ!

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