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2017年10月 5日 (木)

なにが「合格」だ! 柏崎刈羽原発再稼働に向け「合格」

ニュースでは、「新潟県の柏崎刈羽原発6号機、7号機の再稼働に向けた審査で、原子力規制委員会は、事実上、合格とする判断を示した」とのことだが、なぜ「”安全”との判断を示す」ではなく「”合格”とする判断を示す」なのだ?

「合格か――、よかったよかった」との気分を盛り上げ、「合格したんだ、これで安心だ!」という雰囲気を出すために「合格」と言っているのか?

「原子力規制委員会」に対して、そのような判断をする資格を認定する、という「合格」は誰が与えたのだ?

2017年10月 4日 (水)

言語感覚、言語体験、言語知識の貧弱さ、分析能力の不足 「青天の霹靂」「できかねます」「E電」「母さん助けて詐欺」

近くのスーパーに米を買いに行き、「コシヒカリ」にも飽きたので、見覚えのある名前「青天の霹靂」を見つけて購入した。袋の印刷には「青森から驚きの旨さ」とあり、2014年末に発表された時に、米の名称「青天の霹靂」と聞いたときの奇異な印象を思い出した。
 
ネットを見ると「青天の霹靂」はポジティブな意味にも使うとの解説もあったが、それは、例えば「主役に抜擢され、青天の霹靂だ!」は、「ビックリしたなー、もう……、自分に務まるだろうか……、大変なことになった!どうしよう……」と慌てふためく状況としてネガティブに受け止めて使うような場合であり、単純な「ビックリしたー、嬉しいなー、バンザーイ、青天の霹靂だ!」ではないだろう。「ポジティブなものネガティブなもの、どちらにも用いられています」という説明は、意味の分析が足りずに、「主役に抜擢=ポジティブ」と単純に捉えてしまい、その場合も使うのだから、ポジティブな意味にも使う表現だと、誤って理解している。
 
本来は「突然に起こり、周囲を驚かす」(晴れ渡った空に雷)というだけの意味であろうが、今は、「青天=平和」「霹靂=波乱」というようなイメージが作られ、そこから、突然に予想もしていなかった驚きが起こり、それは喜ばしいことではない、即ち「災難」――というような意味に使われることが多いのではないか?
「こんな旨い米があったのか、青天の霹靂だ!」とポジティブな驚きには、あまり使わないであろう。(もちろん、そこら辺は自由なので、「本来の『周囲を驚かす』という意味で使用しました」と言うことはできるが……)
 
私の解釈では、「ちゃんと”青天の霹靂(災難)”と名付けてあるんですから、ワッ、不味っ、ビックリしたなあ――と感じてもあなたの責任ですからね。そういう意味の”青天の霹靂”ですからね」と受け止めてもらいたい、という意図で名付けた商品名に見える(そんなはずはないことは常識でわかりますが)。
 
「青天の霹靂」のホームページには、「誰もが驚くような旨さを目指して誕生したお米。全国の人にこの旨さに驚いて、青森に驚いていただきたい」とあり、「驚き」を強調しているようであるが、「驚き」にも、その種類、性格があり、「青天の霹靂」の驚きが、今の時代に一般的にはどのように受け止められるかの見極めを誤ったように思える。
それとも、「今の時代には、マイナスなイメージで受け止められることが多いとわかっていましたが、あえて、本来の『周囲を驚かす』という意味を活かし、青森の青をかけて命名しました」とでも言うのだろうか?(というか、そう言うしかないだろう)
 
私が批判するよりも、あるサイトに、とうに多くの人の的確な批判の言葉があったので、それを紹介すれば十分な気がする。
 
「青森米新品種『青天の霹靂』について」から引用
 「あまりいい意味では使われないイメージがあるんだけど」
 「知事の写真が『ボクはバカでーす』にしか見えない」
 「なんか大地震でも来そう」
 「また、ビルに飛行機が突っ込んだのかと思った」
 「突然の嵐で稲穂が台無しになりそうな名前」
 「青森県人はアホ」
 「青天の霹靂だとあまり良い使われ方をしないので、雷を表す霹靂だけで良かったような」
 「青天の霹靂ってどっちかというとマイナスなイメージ」
 「こんなネーミング考えたやつも採用したやつも揃ってアホだろ」
 「青森県民って馬鹿なんだろうな、って感想しか抱かないネーミングだな」
 「これで行けると思った奴の学とセンスが無さ過ぎてホント泣ける」
 「霹靂ってPOPに書くのがだるくて取り扱い停止する店が続出」
 「青天の霹靂と言われるとやっぱり不穏な感じが先にでちまうよなあ」
 「不吉な意味も知らずに中二病のやつがつけたな」
 
(私の感想)やっぱり……。
 
関係者(青森県知事も含めて)の中に、強く反対する人がいなかったことが不思議であり、だから、米に関わった人だけでなく、青森県人全員を道連れにアホと評価されるようなことになるのである。
 
「E電」、「母さん助けて詐欺」は自然消滅したが、「晴天の霹靂」をそのまま販売していては、いつまで経っても消えないぞ!「改良しました」とか理由をつけて、後継の新商品を発売して新ネームにするのはどうだろうか?
 
このブログのせいで、私が訴えられるようなことになれば、それこそ「青天の霹靂」である。
(昔、伊勢丹の地下食料品売り場で、米粒が大きい、岐阜県の品種「初霜」を気に入って購入していたのだが、今は入手方法がわからない。それと似ている感じがして、粘りが弱いサラサラした感じが良かったので、これからは「コシヒカリ」と交互に購入することにした)
 
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ついでにもう一つ「できかねます」について
 
以前、ある会社に席(机と椅子)を置かせてもらっていたとき、そこの女子社員が顧客に「できかねます」と言っているのを聞くことがあったが、そのたびにギクッとしていた。
最近も、私が電話で問い合わせをしている時に、相手の女性が「できかねます」と丁寧な口調で答えるので、「ん?」と違和感があり、世間と私とで何かズレがある――と考えて究明を試みた。
 
「できかねます」は、不機嫌そうな顔つきでビシッと言うものである。
 
「できかねます」のネットの解説をみると、「できないの敬語表現」となっているものばかりだが、過去の違和感はこれが原因か!
 
「できかねます」は「できねーよ」を柔らかく丁寧に言っただけあり、敬語ではない。
「できかねます」と不機嫌そうな顔つきで言っている情景が頭に浮かばないようでは、「国語力の低下」を嘆かざるをえない。
 
さらにネットを検索すると、一つだけ、正しい解説をしている下記のものがあった。
 
「『~かねる』は『~ない』の婉曲表現であって、どうころんでも敬語ではない!これをビジネス敬語だと教える日本語知らずの日本人がいるらしい。『できかねる』は『できない』のつまり『ない』という否定表現を避けて言い換えた婉曲表現にすぎない(より正確には、『かねる』はそれ自体で不可能すなわち『できない』の意味である)」
 
上記の解説は納得できるが、「できかねます」は、婉曲というよりも、正面からはっきりと拒絶しているのであり、「できねーよ」ほど失礼に感じないだけである。

2017年9月22日 (金)

アナログレコードの音飛びを「暖かい」と感じるのだろうか? テレビ朝日「スーパーJチャンネル」

テレビ朝日「スーパーJチャンネル」で、何十年ぶりにアナログレコードの生産が行われるニュースをやっていて、なぜ今の時代にアナログなのか?ということをインタビューで探っていた。
 
ある人が、「音飛びも含めて、暖かいと感じるからではないか」と言っていたが、何十年前にアナログレコードを聴いていて、CDの出現とともに、泣く泣く所有していたアナログレコードを処分した身としては、レコーを夢中になって聴いていた、高校生時代からサラリーマン時代のことを思い出す。
 
「音飛び」は最もイヤであり、聴いている時には「ギクッ!」としたものであり、CDは、音質よりも、扱いの良さと、「音飛びが無い」ということにその価値を見いだしていたので、音飛びを「暖かい」と感じる感覚が理解しにくい。
 
ちなみに、高校生の時の修学旅行では、乗車した列車が蒸気機関車なのを見て、「蒸気だー!」とがっかりしたものだが(トンネルのたびに煙が入らないように窓を閉めなければならない。石炭の煙は始末が悪いのだ!)、今、蒸気機関車はヴィンテージになってしまった。
 
時代が進めば、昔の悪い側面、欠点も、懐かしさに変化するかもしれないし、古書、LPレコード、SPレコードの収集は好い趣味だと思うが、復刻版として生産するならわかるが、ネットワークオーディオ、ハイレゾの時代に、今さらアナログレコードを生産する意味はないと思うのだが……。

2017年9月21日 (木)

証拠の映像にはならないが? フジテレビ「奇跡体験!アンビリバボー」「弱小バスケ部の奇蹟 全米感動大逆転」

フジテレビ「奇跡体験!アンビリバボー」で、物語の主役となっているバスケ部が、優勝のかかった試合で、相手チームに時間切れギリギリのシュートを打たれ、僅かの点差で逆転負けをした。せっかくの目前の勝利を手にすることのできなかったチームのメンバーは呆然としている。
 
ところが、突然、相手チームのシュートが無効になり(「シュートを放った時には、既に残り時間はゼロになっていたとして」とのナレーション。「いたとして」?緩んだ言い方だなあ!)、物語の主役となっているバスケ部が優勝となり、大ハッピーエンドとなった。
 
そして、無効になった証拠として、ボールが「ゴールする直前」の、残り時間を示す時計が「00.0」を示しているストップモーションを映していた(これだと「ゴールしたのが時間外なので無効になった」とルールを間違って受け取られる場合もあるのでは?)。
 
しかし、その映像を少し巻き戻して、まだボールが「空中を飛んでいる時」を見ると、時計は、非常にぼやけてはいるが、私の23インチの大型ディスプレイで「00.1」と見えるのである(見えるというより、「0」「0」「1」で、右端だけ形が違うのでは?というぐらいの推測)。そして、もう少しボールがゴールに近づいたところでは、はっきりと「00.0」を示している。
ということは、私の判別が正しいならば、シュートを放った時は時間内であり、有効ということである。
 
私は、ヒーロー誕生に手を貸すべきであるとする、アメリカ人のヒーロー誕生好きの結果ではないかと疑ったのだが、どうなのだろうか?
要するに審判のえこひいきであり、それを見逃すアメリカ人のヒーロー誕生好きによって起きた怪しげな判定ではないのか?
 
私が関心を持ったのと同様に、番組でも関心を持ち、放送局の設備と技術を使って判定し、ボールが「空中を飛んでいる時」に「00.1」ならば有効の判別になる。
しかし、番組の中では「00.0」としているので、それならば有効か無効かの判別はできない。「シュートを放った時」に、残り時間が「00.0」になっていたという映像でなければ無効の証拠にならない。
 
まあ、審判の目を信じるしかないのであり、見ている物に疑いを抱かせる後味の悪い判定であり、間の抜けたタイミングでの逆転判定であり、非難されてもしかたがない審判の技量であった。
そして、番組内での説明も、有効か無効かの判別には関わりない「00.0」の映像を、さも証拠のように見せていたのはいただけない。
 
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私は、最初、てっきりこの番組が、バスケットボールのルールを知らないのだと思った。それは、ボールが「ゴールする直前」に、残り時間が「00.0」を示している映像を見せているからである。
それが理由でシュートが無効になった、と言っているのだと思ったのだ。
ところが、番組は「シュートを放った時」に、残り時間が「00.0」かどうかが問題であることは知っているのである(ナレーションで言っている)。
そうならば、なぜボールが「ゴールする直前」の残り時間など、どうでもいい映像を見せて、「00.0」であることで番組内で盛り上がっているのか?ピント外れだろう!!
 
まさか、その2~3秒前の「シュートを放った時」も「00.0」であったと思っているわけではないだろうな?そんなことは、映像がないとわからないのだから。
番組関係者の思考が理解できない!
 
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この「奇跡体験!アンビリバボー」という番組は、ちょっと考えればおかしいとわかることでも、何も考えずにそのまま放映する、といういいかげんさが以前からあると思う。
このブログでも、(2016/2/25)「無実の罪で捕らわれた夫 暴かれた衝撃の真実」、(2017/7/20)「戦死の夫からの贈り物!死後62年たち起こった奇跡」で「番組の内容がおかしいと思うが」「おかしいと思わないのだろうか?」と、思考が緩んだ人たち(へまをした弁護士、鈍感な村人たち)の行動を称賛する見当違いの内容を批判したが、これで三度目である。

2017年9月12日 (火)

間違った説明(見当違いのデタラメ)であり、辞書を意図的に無視するゴマカシだ! TBSテレビ「この差って何ですか?」「ゼロと零の使い方の差」  「林先生が驚く初耳学!」「0を『ゼロ』と『レイ』と読み分ける基準」

TBSテレビ「この差って何ですか?」で「0(ゼロ)」と「零(レイ)」について解説していた。
番組では、――「ゼロ」と「レイ」は英語読み、日本語読みの違いではなく、「意味に本来『差』がある」のだが、その「差」とは何か――と出題している。
そして、出演者がそれぞれ解答を出したあと、神戸大学名誉教授 三浦伸夫の解説が始まった。
 
 
(番組での解説)
1.「0(ゼロ)」は「何も無い」ということであり、「零(レイ)」は「非常に少ないがわずかに何かある」ということである。
 
2.三省堂「大辞林(第三版)」には、「ゼロ」の項目には「全くない」と書かれているが、「零」の項目には「わずかな」と書かれている。
 
3.「レイ」という漢字は「礼」「冷」などは色々あるので混乱をさけるために、数を数える時には「ゼロ」と言うようになった。これが残っていて、日本語としての読みやすさで使い分けるようになり、両方使われている。
 
4.しかし、本来の意味(「零」は「わずか」ということ)で使い分けている場合もある。例えば降水確率「0%」は「レイ」パーセントと読まれる。その理由は、四捨五入で計算されているので、0~5%未満であり、全く「降らないわけではない」ので「レイ」と読む。
 
5.「午前0時」「気温0度」は、時刻や気温がまったく存在していないわけではないので「レイ時」「レイ度」と読まれる。「『午前0時』は時間としてある」(出演者の言葉)。
 
6.例えば、漢数字「二千七百二十五」は、江戸時代に中国から新しい数字の考え方が伝わってきて、位を表す漢字を表記しない「二七二五」という方法を取り入れた。その場合にその位に当てはまる漢数字が無い場合に「零」を使用した。(「具応算法」1699年)
 
 
(私の反論)
1.「0」は「何も無い」ということ、「零」は「わずか」ということ。
(反論)→それは「零」という漢字の意味がそういうことなのであり、現在、「零」を「0」の日本語表示として使う場合は、「何も無い」の意味で使うのが当たり前では?
 
2.辞書の「零」の項目には「わずかな」と書かれている。
(反論)→番組で取り上げた「大辞林」の「零」の項目には、③「わずかな」と書かれているが、続けて、★④「ゼロ」と書かれているのをなぜ無視するのか?なぜ③「わずかな」の部分だけをズームアップして、「ほらね!」とシラッと説明するのか?
この辞書を見れば(他の辞書も同様だが)「零」には「ゼロ」の意味もあることは一目瞭然、明白であり、この件に関する議論は、これで決着がついていると思うのだが、なぜそれを無視して(見なかったことにして)議論を継続するのか?説明するのに都合の悪いことは、なかったことにするのか?
 
3.「レイ」という漢字は「礼」「冷」などは色々あるので混乱をさけるために、数を数える時には「ゼロ」と言うようになった。
(反論)→数える時に「レイ」と言って、一体何を混乱するのか?「礼」を思い浮かべる人などいるはずないだろう!何を言っているのだ!?
 
4.本来の意味(「零」は「わずか」ということ)で使い分けている場合もある。
★(反論)→気象の分野では「レイ」と言っていることで、なぜ使い分けているとわかるのか?
「~を『ゼロ』と言っているが、~は『レイ』と言っており、使い分けをしている」と両方を例示しなければ説明にならないと思うのだが、片方だけ例示して説明になっていると思うのはどういう論理思考なのだ?
 
★(大反論)→番組の解説では、四捨五入した結果の「0%」は、「何も無い」という意味の「ゼロ%」は間違いで、「わずか」の意味(「0+α」)がある「レイ%」が正しいとしている。
すると、四捨五入した結果の「10%」はどうなりますか?「10±α」の意味がある言葉はありませんよ!すると、「誤差が無い」という意味になってしまう「テン%」「ジュウ%」は間違いになるはずですが、なぜ「ジュウ%(ジッパーセント)」と言っているのですか?(0%の時だけ特別扱いするのをおかしいと感じませんか?)
 
5.「午前0時」「気温0度」は、時刻や気温がまったく存在していないわけではないので「レイ」と読まれる。「『午前0時』は時間としてある」(出演者の言葉)。
(反論)→「午前ゼロ時」「気温ゼロ度」を、時刻や気温がまったく存在しないと解釈する人などいるわけないだろう!(頭は大丈夫か?)「『午前0時』は時間としてある」だと!アホかっ!
「0」を「何も無い」の意味と解釈した上で「午前0時」と表現して何の不都合もない。読み方が「ゼロ」だろうが「レイ」だろうが同じだ。
 
6.江戸時代、位に当てはまる数字が無い場合に「零」を使用した。(例.「二七零五」=2705)これは、「零」は「わずかな」という意味があり、「何も無い」に一番近いので選ばれた。
(反論)→江戸時代に「二七零五」(二七○五)のように漢数字に取り込んで使われていたとは、知らなかった。
そうすると、まさしく「0=零」ということであり、この瞬間に「零」に新しい意味「何も無い」が加わったということであり、「零」の「わずかな」という意味とは別の使い方が可能になったということだろう!
 
 
(私の結論)
「1、2、3」は「一、二、三」であるが、「0」の漢字はないので、「0」の翻訳として「零」を当てた。この場合は「零」は「0」のことであり、そういう意味と使い方としたのであるから、本来「零」は「わずか」の意味がある、などということを持ち出すのはおかしい。本来の「零」の意味を変えて使っているのである。
故に、日本語の中では、「0」は日本語読みの「零(レイ)」と言うのが自然であり、基本であるが、「ゼロ」という読み方は、「0、1、2、3」の「0」というだけでなく、「まったく無い」「特別に強調すべき数」という意味や感じを強調する場合に、語感(強さ、印象)が合うので、英語読みであっても使う場合がある(交通事故ゼロ、カウントダウン開始さんにーいちゼロ等)。
 
 
(まとめ)
1.気象情報で、「ゼロ」でなく「レイ(零)」パーセントと読む理由は、「零」は「わずか」の意味があるから――というのはナンセンスであり、0~5%未満の「わずか」の値があるから「ゼロ」と使い分けている――、などという説明に感心、納得するのは思考が停止しているからだ。
 
★2. 0~5%未満の「わずか」の値があるから、「まったく無い」という意味の「ゼロ」と区別して「レイ」と言う――という考え方は的外れなのだが、それは「言葉の問題と、四捨五入という数値処理の問題は別の話」であることを区別できずに、論理が混乱しているからである。
(デタラメ説明の原因)→四捨五入は、正しくない誤差のある値を導き出すので、「わずか」の値があったとしても「ゼロ」(何も無い)になる。それを問題ありと考えるならば(もちろん問題などないが)、「四捨五入」に原因があるとして解決すべきなのに、それを「言葉の表現によって正そう」と見当違いな発想をしているのが、このヘンテコな考え方の原因である。
 
★3.四捨五入する場合は、4.99が「ゼロ」(何も無い)になるのは当たり前のこと(切り捨てられるのだから)であり、「レイ」(「わずか」にある)と表現する意味はない、というよりも、むしろ「わずか」にあっては「丸め」にならない。
10刻みで丸めるということは、「わずか」は10%であり、「何も無い」は0%であり、どちらかに集約するのである。5.00%は「わずか」に集約し、4.99%は「何も無い」に集約するのであり、それが「丸め」の意味である。なぜ、こんな当たり前のことがわからないのであろうか?
4.99%を四捨五入して0%にする場合に「本当の0ではない(4.99を捨てている)」ことを表現して「零」というならば、14.99%を四捨五入して10%にする場合に「本当の10ではない(こちらも4.99を捨てている)」ことを表現しなくていいのか?
4.99は、潔く、思い切って「ゼロ」(何も無い)にしろ!「わずかにある」などと、しみったれたことを言うな!「四捨」とあるのだから「捨てる」のであり、捨てれば無くなるのは当然なのだ!「降らないわけではない」などと歯切れの悪いことを言うなら「四捨五入」などするな!
 
4.気象情報では、「ゼロ」(何も無い)を、日本語読みの「レイ」(こちらも「何も無い」という意味)と言っているだけである。(私の独断です。考えればわかるので調べてません!)
見当違いの解説をしている人は、0~5%未満の「わずか」の値があるから「零(レイ)」としているなどと、調べて言っているのか?どこで調べたのか?「誰かが~に書いていた」というぐらいの話か?
 
5.「午前0時」「気温0度」は、時刻や気温がまったく存在していないわけではないので、「レイ時」「レイ度」と読まれる――など、正気か!?そんなわけないだろう!冷静に考えれば、おかしい説明だと気づくと思うが?
数を数える時の基準点からの移動が「まったく無い」という意味の「0」であり、「ゼロ」でかまわないのだが、日本語読みの自然な「レイ」を使っているだけである。(私の独断です。これも調べてません!)
時刻がまったく存在していない?――どういうこと?そんな理屈をひねくりだしても、糞の役にも立たないぞ!「『午前0時』は時間としてある」?あのなあ……、もうやめよう。
 
6.「ゼロ」と「零」は「意味に本来『差』がある」という話が出発点であるが、現在(実際)は「零」と「ゼロ」は同じ意味である。それは、★番組が引用した辞書(「大辞林」)にも(他にズームアップしながら隠した部分に)載っている。
この番組で説明しているのは「本来は」という話であり「現在」の話ではない、ということなのか?
 
 
(問題の要点)
「0」(読み方は何でもいい)は「何も無い」という意味があるからこそ、これを使うことにより合理性が増し、便利になるのであり、日本語にはこれを表現する語がなかったので「零」という字を当てたのである。であるから、せっかく日本語で使えるようになったところへ、「わずか」などという意味を復活させては、せっかくの「零(レイ)」が台無しになるではないか!
 
 
(感想)
1.ネットを見ると、「0(ゼロ)」と「零(レイ)」の違いについて解説しているものが数多くあるが、「『零』には『わずか』という意味がある」を引き写しているもの(自分の頭で考えずに人の説明を真似しているだけの解説)ばかりが目立つ。

 ものを良い方向に考える人が解説している例
 1.1「最近『ゼロ』と『零(レイ)』の違いを知って、少し感動しました。テストが全部×だった時は、その努力は、無意味ではなかったから、ゼロ点ではなく、零(レイ)点ということなのです!」
(感想)→ ……。

 ★思考力「ゼロ」の人が解説している例
 1.2「辞書を見てみると、零:わずかなこと。とあります」
(感想)→実際は辞書を引いておらず、「辞書には~と書かれている」という説明を聞いてそれを引用しているだけである。そこまで書くのなら辞書ぐらい引け!(「零:全くない、ゼロと同じ」も載っている! 例「岩波国語辞典 第七版新版」)

 1.3「その意味の違いがあることに気付いていますか。小さな違いに気付く観察力と洞察力を持っていないとニュースを仕事や人生に活かすことは出来ません」
(感想)→間違った説明に気付く観察力と洞察力を持ってないのはあなたです!

2.2015年5月10日放送の「林先生が驚く初耳学!」「0を『ゼロ』と『レイ』と読み分ける基準 降水確率は『レイ』と読む理由とは?」でも取り上げたようで、「ゼロ」というのは全く何もない状態、「レイ」は少ないけどちょっとある状態を示す。降水確率の0%とは0~5%未満ということで発表するので必ず「レイ」と使う――と私の批判している内容そのままの解説だったようだ。
 
3.自分の頭で考えれば、「本当だろうか?」と疑えることであっても、もっともらしい説明であったり、学説っぽい雰囲気の説明であったり、権威のある人が口にしたり、テレビ番組で言っていると、簡単に信じてしまう人が大勢いることがわかる。
そして、「これだけ大勢の人が言っているのだから、間違いであるはずはない」と確信して、理解した気になってしまい、自分で解説する(真似っこだけ)のである。
だからこんなヘンテコな説が広まっていて、何年もの間それを誰も指摘せず、専門家までもがダマされたままで、デタラメの拡散に貢献しているのだ。

2017年9月11日 (月)

「疑ってかかる」という基本姿勢が欠如しているからです 「小田急車両火災」

昨日の、小田急線で沿線火災が発生し、電車に燃え移り、屋根が炎上した事故であるが、今日のニュースで、その原因分析をしきりにしていた。

「非常ボタンが押されたら、とにかく止まる」という規則が第一であり、その後に、規則として「安全確認」「非常ボタンを解除」「司令所に報告」「司令所の指示で電車を発車」という手順を踏むことになっているので、危険な状況から早急に抜け出すことができなかったようである。

規則に従うことが大切であるのは、それが十分に考察された結果として生まれたものであるので、現場での臨機応変な判断よりも信用できるからである。
しかし、実際は「十分に考察された結果」でなかった(近くで火災が起こっている場合について考えられてなかった)ために、火災現場のすぐ近くに停止するという非適切な対応になってしまったのである。

これは、規則に全てを網羅することができないことを自覚し、ある程度、現場の対応に任せるということを規則に織り込んでおかないからである。
非常事態が起こるのは、十分予想できるのであり、それに対応できない現実性に欠けた規則を作ってしまうのは、緊急事態というものへの認識不足、規則を作ることの訓練不足からくるものである。
 
ビジネス社会では、契約書、作業仕様書(作業手順書の土台)の作成等の、厳密な記述についての手法を訓練された人がいくらでもいるが、今回の関係者たちには、非常ボタンの対応については、「想定すべき対象を厳密にチェックする姿勢が必要」という認識がなかったのだろう。

欠陥のある規則に従う人たちの、その対応策としては、規則そのものを「疑ってかかる」という、現場の人間の知恵が大切になるのであり、今回はその知恵がまったく出なかったということである。

2017年9月10日 (日)

「繊細なテクニック」ではなく、当たり前のことだが?ヒントが嘘では? TBSテレビ「林先生が驚く初耳学!」「スキャンダル日本史 新幹線の大輸送」

TBSテレビ「林先生が驚く初耳学!」で、巨大な新幹線車両をトレーラーに乗せて一般道で輸送する場合、「繊細なテクニック」があり、それは「新幹線はナナメに積まれている」ということであり、ヒントに「図形の問題の応用編」として「三角柱」「円柱」「四角錐」の三種類の、寸法が記入された立体図形を映していた。
 
そして、「ナナメに積むと運搬に欠かせない効果」があるのだが、それを知っていたか?という問いを出して、林先生もしきりに立体を考えている様子であった(手で立体の形を作っていた)が、「初耳学」であり、知らないと回答した。
 
私も、立体の数学的な性質が、空間に占める体積や寸法にどのように影響し、荷物を移動する場合に周囲との関係でどのような効果を及ぼし、運送という業務でその性質がいかに応用されているか、そこに自分の知らなかったことがあると感じ、非常に興味がわき、ぜひ説明を聞きたいと思った。
 
ところが、「新幹線をナナメに積む理由」の説明は、「新幹線車両をトレーラーの後方を低くして積む」のは、「パンタグラフがあるので高くなっている後方が、歩道橋の下を通過する時につっかえないようにするため」であり、「前方も低くしてしまうと、坂でトレーラーの底を擦ってしまう可能性がある」から前方は低くしないとのこと。(というか、前方はつっかえないので低くする必要がないので元のまま――これがナナメになる原因)
 
要するに、前方と後方で、上下の高さを、つっかえないように寸法を測って決めているだけであり、立体図形は何も関係ないではないか!どこが「繊細なテクニック」だ!
 
地面から車の底面の高さ(最低地上高)を確保しながら、積み荷の高さと歩道橋の底との距離を確保すると、積み荷は前方と後方に差があるので、当然、荷物(新幹線車両)は斜めになるというだけのこと(珍しい積み方ではあるが)である。何の工夫でもない!
天井の低い場所で、頭をぶつけないように屈むと上半身は斜めになるが、それを立体図形を応用した工夫というか?「繊細なテクニック」か?
 
高度な数学的な理屈を応用したのかと思いきや、単なる算数(足し算引き算)と、使うとしても初歩の三角関数ぐらいの話ではないか。しかも、当たり前の!
 
最初に見せた三種類の立体図形のヒントは何なのか謎であるが、おそらく、荷台を斜めにするという、普段はあまり見ない「珍しさ」と、数学的な解析により、見事な解決を導き出すという人間の「知力」の区別がつかず、「珍しさ」を「知力」と勘違いし、意味も解らないまま、数学の雰囲気作り(高度のテクニックを使った運搬技術という印象作り)で三種類の立体図形を見せたのであろう。
 
一昨日のブログ「『罰当たりですね』……?相手はサルですから」でも、「番組に関わっている人の『理性』を疑わせる内容」と書いたが、何か同じようなものを感じる。

2017年9月 8日 (金)

「罰当たりですね」……?相手はサルですから テレビ朝日「スーパーJチャンネル」墓地でサルが酒盛り

テレビ朝日「スーパーJチャンネル」で小田原でのサルの群れの被害をレポートしているのだが、墓石に登って腰掛けているサルを見たレポーターが「罰当たりですね」と言っているのは、本気で「罰当たり」と言っているのだろうか?それとも、「我々人間から見ると罰当たりですが(まあ、サルだからしかたがないですが)」と言っているのだろうか?

「罰当たりですね」という声の調子に、「礼儀をわかっておらず、けしからん」という憤りの雰囲気を感じるのだが、気のせいだろうか?
 
最近、報道番組に関わっている人の「理性」を疑わせる内容に触れることがままあり、疑い深くなっているので、「困ったものですね」ならいいが、「罰当たりですね」はやめてもらえないだろうか。

2017年8月31日 (木)

「横断歩道の信号は青だった」……どうして「車は必ず交通規則を守る」とわかるの? 日本テレビ「全国交通警察2017 真夏の大捜査線」 「信号機のない横断歩道」での交通規則を知らない?

日本テレビ「真夏の大捜査線 全国交通警察2017」で、子どもが横断歩道で車に轢かれて死亡した状況をアニメーションで見せ、ナレーションで「横断歩道の信号は青だった。左折してきたダンプは男の子を轢き、そのまま走り去った」と言っている。
 
しかし、そのアニメーションでは、男の子は横断歩道にさしかかるよりも、ずっと前から歩道を走ってきて、その勢いのまま横断歩道に入っているのである(その様子は明瞭に描かれている)。
それは、前方の青信号を見て、赤になる前に渡ってしまおうと急いで走ってきたように見える。
この子の親はインタビューで、「赤信号で渡ることも絶対ないし……」と言っているので、交通教育をしていたようにも感じた。
 
8月4日のブログ「『車もこないのに赤信号で待っている人はバカ』?」でも書いたが、交通ルールは「青は進め」でないのに、そう思い込み、子どもにもそう教えている親がいるのでは?と疑えるし、この番組は、交通取締りをテーマにしていて、事故の状況をわかりやすいアニメーションに作っていながら、そこに歩行者側の問題(「車道に急に飛び出さない」という常識)があることに気づかず、何も触れずに、重大な問題点を見逃してると思う。
 
(交通教本を読めば、青信号は「進め」でなく、「進むことができる」と書いてあり、要するに歩行者自身で状況を判断せよということである。
他にも、間違って理解されている交通ルールには、「方向指示器は右左折する時に点滅する」「自転車が通行することを許されている歩道では、自転車は走ってよい」がある)
 
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「信号機のない横断歩道」を渡ろうと手を挙げている子どもがいるのに停止しない車を、女性の白バイ警察官が捕まえたところ、男性のドライバーは、「は?なんだ?お前。タイミング的に無理だろう、急停止しろということか?信号機がないだろう。捕まえたいだけだろう、ふざけんなよ、コラ!」(ここで警察官が交通規則を説明)「はぁ?横断歩道があるのはわかってる、当たり前だ!バカにしてるのかお前、オイ!信号のない横断歩道で子どもをエサにして取り締まっているのか?」と怒っていた。(「タイミング的に止まれない」「信号機がないだろう」という主張で、根本的に交通法規を理解してないことがバレている)
 
歩行者と車が接近している街中では、自分が走りたいようには運転はできない、という認識がないのである。
公道は歩行者優先(道路交通法 第三十八条)であり、ドライバーはそれを頭において運転する義務があることを忘れていて(教習所ではきちんと教えているのに)、横断歩道の手前では、すぐに止まれる速度に落とさなければならないという認識(知識)がないのだ。
 
特に「信号機のない横断歩道」であれば、歩行者優先は絶対である(「車両は横断歩道の手前で一時停止して歩行者又は自転車の通行を妨げない」)のに、このドライバーはそのことを知らず、最初に「信号機がないだろう」と反論したのは、「信号機がないので、止まるか進むかはドライバーに任されている」と思っていたのだろう。
 
警察官に交通規則を説明されて、信号機がなくても止まらなくてはならないことを理解した後は、「横断歩道があるのはわかってる、当たり前だ!バカにしてるのかお前、オイ!」と怒鳴っているが(知識がないことをバカにされるのを恐れる人のようだ)、実際は、横断歩道などは目に入ってなかったので躊躇なく通過したのだろう。
違反を反省することはなく、「子どもをエサにして取り締まっているのか?」と怒りの矛先が変わる。
「横断歩道があるのはわかってる、当たり前」とは思えぬ運転であり、教習所で学び直す必要があるドライバーは多い。
 
ナレーションでは「ドライバーは手強かった」と言っているが、乱暴な脅しの口調であるだけで、「手強い」などということはまったくないはずだ。
警察官でない私でも、基本的な交通規則の知識と実際の状況の判断で、ぐうの音も出ないようにビシッと言える相手だ。しかし、警察官はそのような言い方で取り締まらないようにしているので、穏やかに辛抱強く相手をして、時間を要したのであろう。
 
私も、家の近くの「信号機のない横断歩道」を頻繁に利用するので、ドライバーが停止せずに済むように、「まだ渡らない」ようなポーズをしていても、歩行者が横断歩道の端に立っているだけで停止するドライバーは結構いる(ルールを理解しているのか、一度捕まって懲りているのかはわからないが)。
 
この男性ドライバーは「諦めた」と違反キップを受け入れたが、「諦めた」だけであり、自分の非は理解しないままなのだろうか?

2017年8月27日 (日)

「歪んだ欲望」?素直な欲望では? テレビ東京「日曜ビッグ」「激録・警察密着24時」「盗撮」

テレビ東京「日曜ビッグ」「激録・警察密着24時」で、エスカレータでミニスカートの女子高生をスマホで盗撮した若い男を逮捕している様子を映し、その行為を非難している。
 
ナレーションで「歪んだ欲望」という言葉を何回か発しているのだが、この番組の制作者は、ミニスカートの中を見ようとするする若い男の欲望を、「快楽殺人」の場合の欲望と同列に並べるような意味で「歪んだ欲望」と言っているのだろうか?
 
「欲望」と「行為」に分けて考えると、迷惑防止条例で盗撮は禁じられているので「行為として正しくない」と言えるであろうが、「欲望も正しくない」のであろうか?
「女性の下半身に欲望を抱いてはいけない」という条例があるのだろうか?
まあ、番組は「盗撮したいという欲望」について「歪んだ」と言っていることはわかるが、それは「欲望」ではなく、むしろ「行為」についてのことであり、「歪んだ行為」というべきであろう。
 
「欲望」について述べると、個人それぞれの固有のことであり、一概に言えない問題なので、細かい議論は省略するが、逮捕された若い男は、欲望と行為の常識的なバランスを保つ智惠がなかった(欲望に素直過ぎて)のであるから、社会的に非難されるのはしかたがないであろう。
しかし、報道番組、ジャーナリズムというものは、一般大衆と同じ感覚で、善悪をわめくのではなく、一般大衆よりも一歩進んだ、真実に迫る見解を示さなくては価値がないのではないか?
 
この番組の制作者、及び同類の番組を作成している人たちは、逮捕された若い男を気の毒に思う(そう思うのは私が男だからだろうか?)気持ちはまるでないのだろうか?
番組は、盗撮されたミニスカートの女子高生を、「ショックを受けてかわいそう」と思うのだろうか?私は大いに疑問がある(パンツぐらい見えたっていいじゃないか! まあ、写真はイヤかも……)のだが、これ以上述べると非難が飛んでくるかもしれないので、やめることにする。

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